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伊集院光少年期エピソードwiki
このサイトは、伊集院光さんの少年時代~黎明期のエピソードについて記録していく趣味のページです。

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PC8801版のブラックオニキスとかやってたから、ファミコンで「初のRPG」という触れ込みでドラクエが出たときにちょっと反発を感じていた。 「イロイッカイズツ」の謎がわからなくて、答えはプログラム言語で決まってる7色のカラーコードの順に壁を触ると最後の迷宮に行けるというものだったんだけど、そのゲームをやめて15年くらいかな、人から聞いて「あ、そうなんだ・・・」みたいな。当時のゲームはそれくらい不親切だった。 当時はゲームのプログラムが法律的にどういう扱いなのかが決まってないから、コピーが違法かどうかもグレーゾーンのような時代で、俺らがゲームを初めて3年くらい経った頃に、ゲームのカセットテープをダビングコピーするのは違法ですみたいな判決が出た。 テレーザとかいう名前のゲームだったと思うんだけど、コピーガードが入りはじめた頃のゲームで、普通はコピーに失敗するとゲームが起動しないだけなんだけど、そのゲームには最後の一本橋がループして迷宮にたどりつかないというトラップが仕掛けられてて、それに気づかずに3ヶ月くらいその橋をずっと歩いてた。 半ばあきらめかけてたころにログインという雑誌にそのゲームのエンディング画面が載ってるのをみつけて、ちゃんとエンディングがあるということがわかって、兄貴がコンピュータ関係くわしかったんで解析したら、そういうトラップだった。 ゲームの黎明期には、そんなことある!?みたいな経験がたくさんあった。 これだけ長くゲームやってると、自分の間尺にあうゲームにはもうなかなか出会えない。(@170828)

レバ刺しが禁止になったけど、僕が高校生の時にお肉屋さんでバイトしていたときの感覚で言うと、たま~に卸のおじさんが「今日レバ刺し入ったから」って言われて持って帰って食べる、くらいのものだった。 そのときのおじさんの興奮度合いや仕入れの頻度から言うと、相当珍しいものっていう感覚。
そのあと、もう25年くらい前になくなっちゃったけど、とある焼き肉屋が地元にあって、そこの親父は肉の解体から卸まで肉の全部をやる人で、高校生くらいの俺たちをすごく可愛がってくれて、で、強制焼き肉っていうイベントがあった。 肉っていうのは、今でこそメジャーな言い方になってるけど、寝かした方が絶対うまい、腐りかけが絶対うまいからって言うのね。そうやってギリギリまで寝かせてるから、お客さんが来ないと捨てるしかないわけ。そこで電話がかかってきて、今すぐ焼き肉に来いと。で、安く食わしてくれた。
今の基準ではアウトだと思うんですけど、「これ今すごいいいところだから!ところで、おまえら風邪とか引いてないか?」「いや別に」「体力はどうだ?」とか聞くんです。 あとエロ話とかもすごいんです。「あれか?ホルモンは出してるか?」みたいな・・・俺ああいう台詞が似合う親父になりたいね・・・やだなぁこの親父とか思いながら。今思えばメディカルチェックなんだけど。
で、これうまいから食ってみろ。ただ、ちょっとおなかが痛くなるかもしれない・・・みたいなことを平気で言うんだこの親父! そんなすげぇ肉ソムリエな親父が、ヒントとしては少ないけど、レバ刺しってのが入ってるからって食わしてくれるのがレバ刺しだった。若いうちはこういうの食べとけって。 そのお店は、二階がペットショップっていう悪い立地のせいなのかな?だいぶ前に閉めちゃったんだけど。すごく面倒見のいい親父で、僕がこの業界に入ってしばらくするくらいまでは行ってた。
そんなところでも、レバ刺しは店のメニューなんかに書かれているようなものではなかった。 常連になると、レバ刺しある?→それがあるんですよ、くらいの出され方で。 だから、レバ刺しが印刷された通常メニューにあるのは違和感がある。(@120702)

お互いが譲らないときに相手の立場に立って考えてみようと育てられました。でもこのプロセスを教わった側は、教わらなかった方になかなか勝てない。 そういうプロセスを一回やることで自分の中に変な迷いが生じて押し切られてしまう。自分の主観が絶対に正しいと思ってる人は揺らがないから。(@110704空脳)

今はチャンネル争いとかなくなったと思うんですけど、あの当時親が強引にみせた野球や、姉貴と嫌々見ていたキャンディキャンディが知識になっていたりするし、自分ひとりだったら興味を持たなかったであろうことに興味を持つきっかけになっていたと思う。 全然興味のない奴の中からちょっと興味のフックを探して見てたり、家族みんなで映画を見に行きましょうというときに1人だけ残るという選択肢がないときに見させられた映画を変に覚えていたり。 自分の雑学がなんで養われてるのかと思ったらそこなんだよね。(@110606空脳)

うちは、マンガを含めて本は基本親が買ってくれたんだけど、親が読ませたくない本は自分の小遣いで買うというルールだった。 ドカベンは買ってくれるけどがきデカやまことちゃんは自分で買えみたいな。今思えばいいルールだったなと。 ジョージ秋山先生の、兄貴が怖くて続きを買わなかったようなマンガを買ったりとかしてた。(@110606メール)

先日亡くなった出崎統監督について。
僕はアニメよく見てたんですけど、テレビ漫画と呼ばれていた時代の子供なので、声優さんが誰だとか、大山のぶ代さんとかスネ夫役の肝付兼太さんくらいは知っちゃってますけど、この作品は誰が監督かとかはぜんぜん知らないわけです。
で、アニメの特番みたいなのに出たときに、自分の好きなアニメベスト5をを選んで、1位が元祖天才バカボン、2位がまんが日本昔ばなし、ガンバの冒険、あしたのジョー、宝島、 ずらっと並ぶんだけど、そのときスタッフの人に、今日出﨑さんがゲストだって知ってたんですかと言われて・・・で僕は出﨑監督とお会いすることになるんですけど、実はこの僕の挙げたベスト5のうち4作品が全部同じ監督なんですよ。ぜんぶ出﨑監督なんです。
それでちょっとびっくりして、僕のやってる表現、面白いと思うことの表現って子供の時に面白いと思っていたことの影響がすごくでかいじゃないですか。だからこの人によってかなり作られている部分が、あるんだなぁみたいな。 後で考えてみれば、アニメの途中に入ってくる、でかい一生懸命描いた一枚絵、を端から撮っていったりズームからぐっと引いたりする演出が結構特徴的で、どのアニメにもあるんだけど。
で、亡くなったと聞いてWikipediaで調べてみたら・・・ベスト5の中で唯一抜けてるじゃんと思ってたまんが日本昔ばなしも何作品かやってるらしいんだよね。。この人いろんな名前でやってるんですよ。さきまくらという名前で元祖天才バカボンの何話かの演出をしてたりするのね。で、もうひとつの名前で、第何話と何話くらいのペースですけど、まんが日本昔ばなしの演出をしてるらしい・・・ちょっとぞっとした。
そのWikipediaには第何話かは書いてあったけどそれが何であるかは書いてなかったので、まだ調べていないんですけど、調べてもしも俺のすごい好きな回だったら・・・お手上げ感というか。
それ以降も、この監督がこれなんだとか知らないし、俺の楽しみ方としては知らない方がいいなって思うんだけど、でも、そうやって点と線がつながった瞬間とかに、なんかすごいなって思うね。 僕がほぼアニメの監督の名前で、監督だけで出役をやってない人で知ってるのは、この人くらい。宮﨑駿さんとこの人くらい。なんかあの・・・ご冥福をお祈りします。もったいない。67歳かなんかって書いてあったんですよ、才能のある人ってのは早く亡くなるもんだなと思っちゃいました。(@110418メール)

昔読んでた雑誌。 「モーターサイクリスト」と「オートバイ」を皆で分担して買ってた。未発表の高排気量バイクとかのスクープ合戦を楽しみにしてた。 スクープだから結構ガセもあった。で、当時スズキのカタナってのがすごく憧れのバイクだったんだけど、 カタナをデザインしたデザイナーが出す次のバイクの名前がトリイだって聞いてそりゃねーだろと思ってたらホントに出てやんの。 あとは、ログイン、週刊ベースベール、一球入魂とか。 あとは、中2中3の頃好きな子がアニメ研究会にいたから、そのころは勉強のようにアニメ雑誌見てましたね。 ジ・アニメ、アニメージュ、OUTとか。 あとぴあ。ぴあの最後のページのパノラマ館っていう超難解パズルのページを楽しみにしてた。パノラマ館だけで本になんねーかなぁ。
すげぇ好きなエロ本があって。ギャングっていう名前だとずっと思ってたんだけどどうやら違うらしい。 当時のトップアイドルそっくりの淫らなカラーイラストが1枚描かれていて、それが欲しくて行くんだけど、 新古本屋で手に入れてたけど毎月手にはいるわけじゃなくて、手に入らないときは「俺と同じ性癖の奴が学区内にいる!」って。(@090907)

尾久西小学校と尾久六小学校の間に駄菓子屋があって、そこにおばあさんが居て、 よくおまけをしてくれてたから俺ら尾久西の小学生はそこをおまけ屋と呼んでたんだけど、 尾久六の奴らはそのおばあさんのことを死神と呼んでた。なにそれっていう感じ。
当時の駄菓子屋で売られていたものの中に、仮面ライダーやウルトラマンカードがあったんだけど、 今思えばいかにもパチモンのカードがあって、いくつかは本当にウルトラマンのシーンからとってるんだけど、中にトタン塀の前でバルタン星人やエレキングがボケっと突っ立ってるような感じの奴があった。す~ごいプライベートな感じの。
あれ、一説には、あとで読んだ本によると、あれは円谷の倉庫の前だという説があんの。 円谷の倉庫の前で、勝手に円谷の倉庫に保管されてる予備の怪獣の着ぐるみを使って撮ってるんじゃないかっていう。 そんなんでもラッキーカードがあって、カードホルダーと引き替えにカード裏の説明に黒線を引くんだけど、 悪いガキもいたから、出て行くアルバムの数と合わないんだろうね、心を閉ざしちゃったババアは表のウルトラマンまで徹底的に真っ黒に塗るようになっちゃってた。そんなに疑われるんだ、みたいな・・・。店頭のゲーム機でコインをたくさん当てちゃうと、もうおしまい!って言われたり。 それがトラウマになってて、大人になってラスベガスでコインを当てたときもあのババアが出てくるんじゃないかってビクビクした。
でもすごいなと思うのは、当時の駄菓子屋にもガキの間で流行ってるものを調べるリサーチャーが居たと思うんだよ、大きな玩具店並の。 だって今俺らがガキの心をつかむパチモンをつくれっていわれてもわかんないでしょ? ブルートレインが流行ったときは割とすぐにそのパチモンを作ってたし。 スライムが流行ったときなんか、一斗缶に入れたスライムをババアが柄杓で量り売りしてた。 当時400円位した奴を30円くらいで売ってた。 最初はにおいも感じも本家スライムっぽいんだけど、四日くらいで腐敗臭がしてくるんだよ! 何でできてるのかわかんないんだけど、工場の中でぐるぐるぐるぐる煮てる奴が居たんだろうなぁ。 早く売らないと間に合わないっていう腹はあるんだろうね売ってる方も。だから小分けにしないで一斗缶のまま・・・(@090817)

朝霞テックってまだある? 昔算盤塾の遠足で行く予定だったんだけど算盤をやめさせられちゃったんで行けなかったんで、 行ったことはないけど覚えている朝霞テック。 (@081201)

当時はビデオがないから、怪獣全百科(?)でしか見たことのないゴジラ怪獣を見たい見たいと思うわけ。 今もあるのかな?文芸地下っていう名画座で、 たまにやるゴジラ特集の日に行って初めて見るわけ。(@080519)

はじめてうちにコンピュータが来たのはPC-8001で、サービスでつけてくれたのは「信長の野望」で、 すっごく好きだった。で、信長で天下統一しましょうみたいな枠にとらわれる俺じゃないから姉小路の野望になるわけ(@071022)
はじめてフロッピーディスク形式で買ったゲームは『夢幻の心臓』。フロッピードライブが15万。しょっちゅうゲームを買えるわけじゃないから、雑誌に載ってるプログラムを兄貴が音読して俺が打つとかやってた。(@170626)

たけしのANNと谷山浩子のANNを聞いていた(@070416夢太郎)

初めて買ったCDは、CDプレイヤーなるものが来たときに、 うちの隣がレコード屋だったんだけど、そこにCDが5枚くらいしかないの。 そのうちの1枚が『アリスベスト』だったからそれを買った。
買ったんじゃなくて手に入れたのは、CDってものが出るよってときにオーディオフェアみたいなのでもらったCD。 のちにCDプレイヤーを手に入れたときに入れて聞いてみたら、D51のガッシュガッシュガッシュガッシュって音が入っていたね。
初めて買ったレコードはこおろぎ73の『さいしょのパンダはくろかった』、あご勇の『僕は塾生』。
当時兄貴と姉貴が町屋の歯医者に行ってて、ご褒美に何か買ってもらえたことに、おかしくねえか?と。 虫歯のない方が偉いに決まってるって、親に文句を言ってら買ってもらえた。 欲しくなかったけど、せっかく受け入れられたんだから買わないと、って無理矢理買った。 たぶん小1か幼稚園くらいだったと思うんだけど。 子供って貧乏くさいから買ってもらえることになったら欲しくなくても買ってもらうじゃんか。 ドラムのプラモを買ってもらったことがある。欲しくないのに。今逃しちゃもったいねぇって。(@070115伊集院島)

町屋二丁目から東尾久三丁目 っていう停留場の間の所に鳩の形の巨大な滑り台がある公園があって、 小一くらいの時に鳩ぽっぽ公園と名付けていたんだけど、高校一年くらいの時にいったら鳩の滑り台が なくなっていて、公園の門柱に鳩のちっちゃい銅像が置いてあって、ああ名残で置いてあるんだと 思ったんだけど、最近行ったら跡形もなくなっていて、近所の古そうな八百屋さんとかに鳩公園ありましたよねと 聞いたら、そんな公園ないよと言われて、不思議な気持ちになった。(@061210秘密基地・穴)

昔は返本になった付録とか誰か知らない奴がエアチェックしたカセットテープとかあったんだけど、 今時の縁日はどこに出しても恥ずかしくないようなものばかりになったね。(@060109落語リハビリ)

長寿荘というアパートの共同玄関みたいなところでポケットメイトや人生ゲームを広げて遊んでいて、おばさんに「うちの子じゃないでしょ」って追い払われそうになったとき、部屋で遊んでいいよと言ってきたものすごい咳をしているおじさんがいた。 四畳半くらいの部屋の隅で太巻きみたいになってるおじさんの横で人生ゲームを広げてやっていたんだけど、なんかその絵ってすごくね?人生ゲームだぜ? ちびっ子が四畳半くらいの部屋に4人くらいでお邪魔して人生ゲームしている横でものすごい咳をしている太巻きおじさんの人生はっていう・・・。
そんで、子供ってすごい図に乗っていくから、すごい咳をしたときとかに「五月蠅い」とか言うわけ。 こっちは株で失敗したりするから、おじさんのせいでルーレット失敗したって詰ったりしてた。
そのおじさんのところに行かなくなった理由は・・・思い出せない。(@051017ダークの旅)

モンキーが欲しかったんだけど予算が無くてモンキーっぽいライドアンドプレイっていうバイクを乗ってた。 当時モンキー用の改造パーツはズラーッっと並んでるんだけど当然R&P用は出てないわけですよ・・・。 そうすると改造なんて違法行為はよくないっていう俺の根っからの正義感という奴で、改造なんて欲望に惑わされないR&P用のパーツが出てないのはむしろ正しいんだと思うわけですよ。でもR&Pは相当乗ったな・・・。 今は十和田湖のほとりの林の中にあります。風化してなければ。(@041115脳内商店街)

うちのところだけかもしれないけど、近所のジョナサンに、母の日絵コンクールってのがあって、 母の日の近くになると1週間くらいかな、張り出されるの。描いてて途中で力尽きたなっていう絵を見て楽しんだ。(@040510FAX)

神保町にある某マンガ専門店に小学校の頃から行っている。(@030526)

偉いなと思うのは、駄菓子屋はインチキ臭いイメージがあるけど実は正々堂々としてるからね。 原料のところに堂々と赤色12号!とか。潔いよね。騙す気は全然ないもんね。自己責任で食え、みたいな。 ああいうところに潔さを感じる。いつからおかしくなってきたんでしょうね。 俺の勘では、高校生くらいの時にパルコの中にオシャレ駄菓子屋像みたいなのが出来てから、 俺の中で自己責任みたいなにおいがしなくなってきた。(@030127馬鹿の応援団)

今は良くなりましたけど地元の尾久ボウルでは昔は、20秒待ってると2本倒れる。 それがボーナスタイムってものでしょ、ふつう。 全ピン残ってるけど×マークがでたり、そういうボーナスが付いてた。(@030127)

近所の玉川屋にペロティを買いに行った。(@021007)

昔のゲームは難易度調整が甘かったから、オズマウォーズを延々6時間とかやってて、駄菓子屋のババアに嫌味を言われた(@020303ミスチョイ)

子供の頃、俺がマンガを読み始めたときにはアストロ球団は終わっちゃってたんだけど、神田の古本屋に行って一巻一巻揃えてた。だけど4巻だけがぜんぜんみつからなくて20巻まで揃えた後にやっと読めた。話の変わり目だったので話の繋がりが不思議だなと思って読んでた。ジャコビニ流星打法を「理にかなってる」と感心しながら読んでた。(@011119ちびっこアニソン大集合)

子供の頃にアメリカのアニメが放送されてて、「まんがキッドボックス」というのが6時半からで、「まんがのくに」というのが6時45分からやってて、そこでアメリカの15分ものの『チキチキマシーン猛レース』とか『大魔王シャザーン』とかがやってた。 その頃はアメリカのアニメだということはなんとなくわかってたんだけど、歌もアメリカのアニメのものを直訳しているような気がしてた。なんとなく。
だけど、チキチキマシーン猛レースの姉妹版で、チキチキマシーン空のなんとかっていうのがあって、それが「えらいこっちゃえらいこっちゃ捕まりゃ損損」っていう歌い出しなんだよね。それを初めて聞いた時に、あれ?和訳じゃない・・・と気付いて。 ということは、あの歌は誰か適当な大人が作ってるわけでしょ?ちゃんと。ああいう人達はどうしてるんだろう、適当な大人・・・ (@011112ちびっこアニソン大集合)

子供の頃、3歳頃から行ってた町屋のプラモデル屋が最近調子が悪いようだ。(@010312)
こないだ行ったらもうなくなってたんだけど、歯医者に行くと帰りに寄らせてもらう町屋のちっちゃいプラモデル屋があって、そのショーケースには俺の小学生の頃にはすでに売ってなかったダメおやじのプラモデルがずっと飾ってあった。作った奴はもういい歳になってるんだろうなって感じの。微妙に下手だったんだけど、あのダメおやじは誰が作ったんだろうな・・・(@020310せづね絵)

家を建て替えるときに来た大下さんっていう、たぶん土建屋さんのおじさんだと思うんですけど、 よく言ってたこと。学歴なんてさぁ、なんて話を変に思い出したりする。 (@001211だめにんげんだもの)

好きなアニメ。まんが日本昔ばなし、ガンバの冒険、元祖天才バカボン、はじめ人間ギャートルズ、あしたのジョー2。あしたのジョー2は最近嵌ったんだけど。まんが日本昔ばなしを除いて監督がすべて出崎統さんで驚いた。 「フラダンスの犬なのだ」の歌を共有できたのは構成渡辺とローリー寺西さんだけ。ウスラトンカチ、ひらひらひら、ひ~ら~♪ (@000807)

下北に住んでいた時にすぐ裏が幼稚園で、同じマンションに住んでたあきらってガキをいたずら半分にもてなしてたら、友達連れてくるようになった。それで、友達の前でいい格好をしたいあきらくんは、俺よりちょっと上の立場みたいに振る舞うようになってくるんだよね、あのゲーム出してみ、みたいな。小学校二年くらいのくせして。
そのうちあきらが子分格の幼稚園児も家に連れて来るようになって、最終的には大暴れおじさんですよ。出て行けー!って。
あとであきらくんのお母さんからのお詫びの手紙がドアに挟まってた。うちの子は一人っ子で、お父さんは出張がちなもので、やんちゃでごめんなさい、みたいに書いてあって、こちらこそすみません・・・(@000124だめにんげんだもの)
302は25くらいの時に俺が住んでた下北のマンションだな。そこに住んでた時、隣に3人家族が住んでて、あきらって鍵っ子のガキが居て、ゲームばっかりやってたら、毎日のように遊びに来てたんだけど、1週間くらい経ったら子分みたいなの連れてきて、1ヶ月くらい建ったら5人も連れてきたんで、あったま来てそいつの目の前でゲーム捨ててやった。泣いてたなぁ。すげー泣いてた。
それ以来俺とは一切口をきかなくなったな。すぐに越しちゃったんだけどね。(@040419webjunk)

子供の頃に近所で野球やってたら、その頃にガイコツって呼ばれてた変な親父がよく「打たせてくれ」って入ってきたんだけど、あれが未来から来た俺だったらやだな。子供の頃の無邪気に遊んでる俺と遊びたいってさ。なんか、すごく心にぴゅーぴゅー風の吹く話だわなそら。(@001002だめにんげんだもの)

ガンダムのプラモが欲しくてこぐま屋のおやじに土下座した(@991014)

「ゆワイターX」っていう湯沸かし器があった。俺の昔の家に。(@980511あそび)

中三の時に親だまして買ったコンピュータって、当時ひとそろいで30万くらいしたんだけど、フロッピーもついてなくて8bitだった。(@980119帰ってきたあそび)

都電の町屋駅の赤札堂の前のたこ焼き屋でよくたこ焼きを買った。(@961118あそび)

サマーランドといえば15年前に原田算盤っていう算盤塾の遠足で行った。(@960513)
数ヶ月分月謝を納めるとロケットペンシルがもらえることに釣られて算盤塾に入ったものの、珠を弾かずに暗算で切り抜けて月謝分おそわったら即解約。 結局算盤は役に立たなかったな・・・ってなことをエッセイに書いたら、それを先生に読ませた奴がいて、先生のお孫さんだかお嬢さんから「先生が相当傷ついている」とお手紙が・・・。 でも今思い出したけど(たぶん)算盤塾の遠足で行った多摩動物園の昆虫館で覚えたクワガタの名前が今Q様とかですごく役に立ってます! 芋掘りや、下手したらアイススケートも算盤塾関連で行ってたかも知れない。算盤塾通ってよかったです!(@130715)

初めて買ったラジオはロケットの形をしたラジオ(@?)

 

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