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伊集院光少年期エピソードwiki
このサイトは、伊集院光さんの少年時代~黎明期のエピソードについて記録していく趣味のページです。

友人ネタ その1

友人 友人2

大野くん

大野くんを呼び出すときには大野くんの部屋の窓に小石を当てるんだけど、石が少し大きくて窓が割れて大騒ぎになったことがある。(@081027ナイナイアルアル)

大野くんが、なんか「言わないで後悔するより言って後悔だ」なんてこというじゃん。なんで? 「おまえさ考えてみろよ、気のねぇ奴が授業中おまえの方を何度も見るか?」「いや見ないな・・・」みたいになるけど、キモくても見んじゃん・・・。春先にそんだけ汗かいてりゃ、見んじゃん・・・。(@060515伊集院島)

塀の上を自転車で走る遊びが流行った。大野くんが落ちて足折るまで。(@060226秘密基地)

昔よく原チャリで神田の古本屋街にアストロ球団を買いに行ってて、 そのときよく大野くんにえっちな本のお使いを頼まれていた。(@010702だめにんげんだもの)

「あの人に会いたい」っていう番組あるじゃん。こないだ大野君と車乗ってて、俺たち誰に会いたいかなって話してたんだけど、でも30分位して見つかったんだよね。
昔、高一くらいの時にバイトをはじめて、稼いだ金で尾久駅の明治通りをちょっと行ったところの、自動車の販売店かなんかの前に夜中の11時くらいから軽トラックのラーメン屋が出てたの。 ここのラーメンの焼き豚、猛烈にうまかった。どれくらいうまいかっていうと、自分でバラ肉煮てみるくらい。 1年間くらい毎日同じ所に出てたんだけど、1年後に忽然と来なくなった。それから半年後くらいに、当時国鉄今JRの駅で1個くらい離れたところの駐車場で、無惨にぶっ壊れたその車を発見したんだよ。 だけどそのラーメン屋の消息がわかんねぇんだよ。顔がべかこ(現桂南光)に似てたんだよ。あの人に会いたい。 計算に弱い親父だったなぁ。(@961223あそび)

中三の頃、音楽室横の非常階段の踊り場がパンチラスポットで、大野君がいつも一人でトランペットを吹いてた。 大野君の結婚式の司会をやったんだけど、あとで家に遊びにいったときに、奥さんがその姿に惚れたって聞いて、俺、ホントのこと言えなかった。(@000306裏伊藤家) トランペットを吹かずにパンチラスポットで上を見上げていただけなのに、奥さんは夕日に向かってトランペットを吹いてる素敵な大野くん・・・ね? 大野くんにも年頃の娘がいるからこの情報が入るかもしれないけど・・・そうなんだよ?(@120206空脳)

大野君は無邪気にどうでもいいことで話しかけてくるのでその無邪気さにイライラした。 こっちは、人付き合いが苦手なこととかを哲学的思想に結びつけていくと楽じゃん?自分を上手に追い詰めていくことで孤高の硬派を気取っているところに、バチェラーみたいな偏差値的にはそんなに高くない雑誌を持ってきて「これってどこまでが乳輪っていうのかな?」 うるせーよもう・・・ここじゃないのとか適当に指差したりしてた。(@991220だめにんげんだもの)

大野くんはブロンドものが好き。(@980608)

大野くんがブラスバンド部でトランペットを選んだ理由はキンピカだから。中一なのに。(@980309人生ゲームネガティブ版)

幼稚園~中学まで一緒の学校だった大野くん。 引っ越しの手伝いに来てもらったのに俺が寝ちゃって、起きたら引っ越しが済んでいた大野くん。(@971013)

上原くん

バイク乗ってるから、もう高校2年か3年くらいになってると思うんですけど、ある日友達の上原くんが、埼玉県の狭山のとある場所にあるHな本とかビデオを売ってるお店で・・・「ご禁制品」を扱ってるらしいと。↓

上原くんには年の離れた兄貴が居て、佐山の本田の工場に通っててそこからの情報だと思うんだけど、そして夏にさ、買いに行こうってことになるわけですよ。 確かこの辺だったと聞いたんだけど、みたいなことを言いながらずっと行くわけ。 16号線をしばらく行ったあとに、一カ所、え?こんな方?って道を折れるんだよね・・・今でもそこに同じ風景があればわかるけど、くらいのとこなんだけど。 いかにも街道沿いにあるそれ専門の大人のおもちゃのお店、黒い地にトイザらス風の文字で「大人のおもちゃ」て書いてあったり、「本」「ビデオ」とか書いてあるわけですよ、当時出だした頃だから。 またやってるんだかやってないんだかわからないんだよね、昼間だから。入り口の扉がオレンジ色のガラスで、ドアノブのところがまん丸のでかい皿状の押す奴で。↓

俺達からしたら、その年齢でそういう店に入ること自体がもう非合法なんだけど、もっと非合法なことがその中にあるらしいって噂を聞いて行っちゃってるじゃん? 入ったらもうなにも言い訳できないぞってところだから、入るまでがまたすごい勇気いるわけ。 あのときはすごい大人だと思ってるけどまだガキだからさ、上原くんと原チャリは反対車線に止めておいてすぐにまたがって逃げられるようにしようぜ、とか相談するわけ。 今考えると、何が起こるんだよこれからっていう・・・なにエロ本買うのにマフィアのアジトに乗り込むような気になってんのって。 でもそんときの俺達からしたてみたらものすごく怖いわけ。 一人が行ってもう一人が何分出てこなかったら警察行った方がいいじゃないかとか、馬鹿警察なんか行ったら大変なことになるぞとかそういう会議をしたりして。 いったんアイス食って考えようってことになって、たこ焼きとソフトクリームを売ってる店で買ってまた話すんだけど、暑いからさ、アイスが、俺CBX400Fってのに乗ってたんだけど、そのエンジンの上にじゅわっじゅわって落ちるわけ。 こっちはまだ長いローンが残ってるから「あああ・・・」とかなりながら。
そんなことしてたら中の奴がドアを開けて「エロ本か?」「はい・・・」 パンチパーマにチョビ髭のザ・ヤクザみたいな風貌の人で。↓

当時はビデオよりエロ本が多かったんだけど、ビデオも棚に出してある奴はモザイク有りの奴だけだから、そこでまたひとつ関門があるわけですよ。そういうのありますかって聞かなきゃならないわけ。 奥になんかあるのかなって見たら、うしろに人ひとり入れるくらいのオレンジのカーテンがあるわけですよ。 そんでずーっとちらちらそっちの方を見ながら、鼻糞ほじりながら売り物のエロ本見てる親分と目が合うとまた棚に目を戻す、みたいな昔のコントみたいなことが数回つづいたところで、「あ、全部見えてる奴ほしいの?」
・・・2万2千円。そんとき俺らみんなで金出し合って6万くらいもってたんだよね。今思えばボラれ放題だったんだけど。 そんなにするわけがないんだよ、でも当時は相場がわからないから。
当時、普通の映画のビデオが1万5千円くらいして、エロビデオも表の奴はたぶんそれくらいしてて、雑誌とかに広告で全部見えてる奴もそれくらいでありますってのもあるんだけど、どうやらそれは偽物らしいと言われてるときに、人から手渡しで来る奴はいったいいくらするんだろう、もう青天井なんじゃないかって。
で、2万2千円出して、、、帰り道すごかったね、バイクのスピード。 法定速度的にはどれくらいだったかわかりませんよ?メーター見たわけじゃありませんから。いったん狭山の町がになるくらいの・・・気が付いたら家の前で。『ブロンド・ゴッデス』・・・今思えば何でもないんだよ、要は洋ピンを雑に持ってきてるだけだから。・・・まあ、俺達の夏だねあれが。あれが、夏だね。(@100726)

俺が中三の時に上原くんちで初めて『ブロンド・ゴッデス』という洋ピンを見せてもらった。(@070709)

俺いつから正月が嫌いになったんだろう。高一の頃には既に正月が嫌いになっていた。 上原くんの茨城の空き家に泊まりに行くのが既定路線だった。(@061218)

すごく思うのが、高校の頃とか、手淫三昧の毎日ですよ。 そんなかではったりでいまいち性欲がなくてとか言う奴がいたよね。 なんで?最近立たないとか言う奴がいて、それに対して明らかに俺ら、うわ大人だって。あれ、なんだ? こっち側は、こないだこういう手淫法を開発してすごかったとか言ってると、おまえら子供だなって。なんだ?上原くんのあれ、なんだ?(@041122脳内商店街)

藤野くんの家が民間車検場でみんなでバイトさせてもらっていた。 ジャッキアップしてる車の運転席に乗りたくなって乗ったらその瞬間ジャッキから車が落ちて・・・。 ついさっきまでいたジャッキアップして裏に回って点検をしていた上原君がどうなったかっていうと・・・ ビックリした!さぼってたのよ!(@040719)

俺のおならを香港の生ゴミみたいな臭いがすると評した上原くん。(@011119だめにんげんだもの)

上原くんは俺の買ったバイクをボロクソに否定するくせに同じようなバイクを買ったりする人。(@010430裏伊東家)

一番古い誕生日の記憶。
小学校三年くらいの時に上原って奴が持ってきたサンダーバードのミニカー。 既に1個もっているんで、ひょっとして彼は僕があまり欲しくないのを知っていて、わざと持ってきてるんじゃないかという気がして、楽しくなかった。 そこから俺は蛇のような目で人を見てるのか俺は!?(@001211だめにんげんだもの,@120521空脳)

中二中三くらいのときに、大野くんと木村くんと上原くんくらいの仲間と年賀状を自分で配りに行くことが流行った。 その始まりは、元旦に届く期限の二十日までに書くの間に合わないから、だったら自分で出しに行こうってことだったと思うんだけど。
で、その三年目くらいのときに、郵便局の人が配達してくれないような年賀状を出せるということに気付いて、白いベニヤ板に賀正とか書いたでっかいやつを、上原くんが行ってた学習塾に投げ込んでくることになった。 そこは民家を学習塾にしてるようなところなんだけど、その塀の上から投げ込んだら、今でも覚えてるんだけど、地面につきそうなところからふわんと浮き上がって、窓に向かって一反木綿みたいにガシャーンと。逃げたよ。 だけどちょっと驚かすだけのつもりだったから名前が書いてあるわけですよ。すっごい怒られたね・・・(@991213)
中学校の時かな、年賀状をクラスのほとんど人に、ちゃんと年賀はがきに書いて、大晦日初詣に行った帰りに友達と直接投函しに行くブームというのが来た。
その時に上原くんっていう友達が塾の先生をびっくりさせたいって言い出して、畳一畳分のベニヤ板で年賀状を作ったの。ペンキで書いて塗って。 そして一月一日の明け方に俺と上原くんと大野くんでその塾の先生の家にそれを持って行ったら、家には誰も居ないような雰囲気だった。家の感じとしてはサザエさんのあの家の感じなんですよ。わりと古い感じの、二階建てだけど庭があって、庭からも直接入れるような。そこの雨戸はしまってないんだけど誰も人の気配がしないわけ。
そこでどうする?持って帰るのやだぜ?なら投げ込んじゃおうということになって。 で、その庭にさっと置くような感じで投げ入れたら、その大きな畳一畳分のベニヤ板が、なんていうの?鳥人間コンテストの最後のひと伸びの感じで、地面すれすれのところからフワリと浮き上がって縁側のガラスの引き戸にガシャーン☆ ・・・正月の明け方、いや午前中。
で、そんときなぜか大野くんが「逃げろ」って言ったのね。 年賀状という証拠が残ってるから、あとで上原くんがすごい怒られたみたいだけど。
あの瞬間のことすごい思い出す。巨大な年賀状が、地面すれすれのところをしばらく地面と平行に飛んだかと思ったら、上がっていったっていう。目標を見つけたかのように上がっていって縁側のガラスめがけてつき刺さって行くかんじ。木の格子をへし折って中につき刺さっていく感じと、しばらく静かになったあと、逃げろってみんなで逃げたことを覚えている。(@141208)

高島くん

小学校の頃、見たことないのに思いこみである友達のち○ちんをデカイデカイって囃し立ててたら、中二の終わりくらいに皆で旅行行ったときに意外に小さいことが判明して、こいつのことすげぇ困らせてたんだって思ったことを覚えている。 高島くんのちん○んのことだけど。(@080225いつまでも絶えることなく友達でいよう)

僕の友達の高島くんが、手淫を何回やってるかっていう話をしているときに、そんなにやったら膝から血が止まらないだろ?と言い出して、え、なんだそれ?っていう・・・ 未だにどうだったんだかわからないんだけど。(@061225伊集院島)

高島くんがチャリカギ番号は8940(薬師丸)だと吹聴していたのでなんどパク乗りしたことか。(@061120)

いけないことなんだけど、原チャリ乗り始めてうれしくてさ、高島くんといっしょに、電話ボックスの電話の裏の所に、○田とか○高ってマーキングすることが流行って、都電で何駅か行ったところの電話ボックスにももう○高って書いてあるわけ。ある日、絶対負けねぇと思って奥多摩湖に行ったらそこの電話ボックスに行って○高マークがあって、やられたーって膝から崩れ落ちた。(@060502webjunk)

高島くんのお姉さんが綺麗。
戸川純のコピーバンドをやっていて、そのエロイ歌詞を聴いてガチガチ。(@060227ハレンチ学園)

高校生くらいの時に皆で集まって盛り上がってるときに、理由は忘れたけど高島くんがもう帰らないと不味いと言い出して、チャリ貸してやるからもう少し居ろよと言ってしばらく居たんだけど、またそろそろ帰ると言い出して。 言ったとおり自転車を貸して返したんだけど、残された3人が空気悪くなって嫌だったんで、あれ盗難届だしてやろうか?と笑いあった。
そのあと、残った皆でちょっと買い物に行こうということになって出たら、お巡りさんが通りがかったので、「今チャリなくなったんですよ、ちゃんとパトロールしてくださいよ」とふざけて盗難届に出してやった。 そしたら、今正に職務質問してる奴がそのチャリ乗ってるっつーのよ! その場に少し遅れて着いた奴が機転を利かせてくれて「違うよ、俺がお前が居ないときに高島に貸したんだよ。 こっちの勘違いです。すみません」と取り繕ってくれて事なきを得た。 その後、都の柔道の大会でいいところまでいく高島くんに路上で投げっぱなしの巴投げを受けて制裁は受けてます。(@040308)

小5の頃、荒川にかかる橋にある水道管をたどっていく遊びをしていて落下したが水域に落ちてセーフ。 高2の頃、傷んだ貝を食わせて腹痛を起こしたが翌日ケロっと回復。 高島くんの心と体が頑丈だったことに感謝。(@04????webjunk)

高島くんは俺が中学校の時にすっげー仲の良かった友達で、500円やるから荒川を泳いで渡ってみ って言ったら「よっしゃー」って言うから怖くなっちゃった奴のこと。強靱な体力を持ったお人好しっていう。 給食当番の時に、給食を運ぶエレベーターに入っちゃったボールを取ってきてって言って、 1階の給食室に送り込んだのもいい思い出。給食のおばさんの悲鳴が4階まで聞こえた。(@020603)

俺の友達の高島って奴は、都営住宅っていうの?あんま部屋数がない家に住んでいたので、 当然自分の部屋でエッチなビデオを見るという作業は出来ないわけ。 だから、どうしてもっていうときは、家族が全員ぐっすり寝てるときに、 自分が一番テレビとビデオに近い場所で寝て、イヤホンでエロビデオ見るって言うんだよ。 お○○○○は触らないまでも。しょうがねぇじゃん、そういう感じなんだもの。
当時、エロビデオは貴重だから、そうそう何泊も貸せないわけですよ。 今じゃ貸しっぱなしでもう返さなくていいよみたいなものもあるけど。 まあ、一晩借りたら次の日は先約が、みたいなものじゃないですか。その夜見ないとダメなわけ。 両親が寄り合いで遅くなるからって借りて、帰ったら、あれいるじゃん?みたいなときは そういう決死隊みたいな状況で見るって言ってたね。あとは、友達の家で見て、頭に焼き付けて帰るって言ってたよ。(@000710だめにんげんだもの)

俺ね、高校の時に、友達の、茨城県に借りてる家があって、それは普段空き家になってるんだけど、そこをみんなでバイク、原チャリで行って、そこで1週間くらい共同生活するってのがすごい流行って、特に冬休み。正月家に居たくないじゃない、俺の友達だから。 4-5人でみんなで行って、それこそ大野くんとかと。俺はその頃食事を作るのが割と好きで、いつも食事当番を買って出てた。正月くらい、家にいればいいもん食えるんだから、なんかいいもん食おうかって、近くにあったスーパーみたいな所に行ったら、ハマグリが特売でたくさん売ってた。 正確に覚えてないけど3個千円くらいするでかいハマグリで、それを5人分で15個買って家に帰って、俺がうまいもん食わせてやるからって、みんなにハマグリをパカッとひらいたところに醤油を数滴と酒をちょこっと入れて、焼きたての奴をみんなで食おうやって、OKOKになって、俺が台所でハマグリを焼いてたの。 したら、開かないハマグリが3つあんの。↓

で、この3つは、ダメなハマグリだから捨てちゃおうという心が半分と、もう半分、だけどこれ捨てちゃったらひとり頭の数が合わなくなるよなっていうのがもう半分あって、どうしようか考えてると、横に木村とか上原とか通るわけですよ。 で、「何やってるの、時間かかってるじゃん」「いや、ハマグリ・・・がさぁ、うまくいかねーんだよ。あかねーんだけどなんで開かないんだと思う?」って言ったらそんとき上原が「我慢強いからじゃねーか」って言ったんだよ。言ったんだよ? んで「そーだよね!我慢づえーんだよね?」って話になって、バイクの工具箱の中からペンチ持ってきて、3つ開かないハマグリをパカッパカッパカッと開けたさ。 で、開けて、中で、気は優しくて力持ちの高島ってすごい仲のいい友達、そいつはもう柔道部のエースみたいなものすごい筋肉質の、俺から体脂肪率をほとんどなくした感じの奴なんですけど、そいつに、あいつなら大丈夫だって食わしちゃおう。 で、3つ食べたら全然大丈夫なの。おいしいおいしいって食べたんだけど、夜の2時くらい、忘れもしないファミコンのエキサイトバイクに熱中しているときに、高島くんが、ぶるぶるぶるぶるって震えだして、俺すっげぇ気持ち悪いよぉ、すっごい気持ち悪いよぉ、って言い出して、上原が食中毒?って言ったんだけど、高島が言った言葉は、俺みんなと同じもの食べてるからそれはありえねぇって。・・・俺だけがわかってんの。 みんなは行ったり来たりしてるけど全部の筋書きを知っているのは俺だけだから。あ、そういえば食中毒だって思ってんだけど、もうその中では、みんな同じものを食ってるんだから食中毒というのは消して考えようということになっちゃったわけ。 遠いところ原チャリ出来てるからストレスたまって、とかみんな言うんだけど、顔真っ青で唇紫色で、俺怖くなっちゃって、お袋に電話かけたの。↓

「食中毒って、たとえばね、全然なってないけど、どんな風になる?たとえば死んだりする?」って言ったら、 「食中毒くらいじゃ人は死なないわよ、なにいってんの。貝の腐ったのでも食べたら別だけどね」
横をぱっと見たら、ソファーの高島くん見たらグターってなってて、で、ベロがちょっと自分の意思とは違く出てるの。もう上の空なんだけど、かすかに聞こえる声で、
「もしもし?もしもし?ベロが白くなったら大変よ?」・・・白いんだよ(笑)。
「@%$%#”!高島くんが死んじゃう~・・・寝よう!」って寝ちゃったんだよ。
貝の食中毒って今考えると危険なんだけど、高島がそれを超えるくらい野人だったんで大丈夫だった。 何年か経ってから高島くんに言ったの。あれねこういうことだったんだよごめんね、って言ったら無言でボコーンって殴られた。 今でも喋ってて涙が出てくるくらい、みんなに言えないの。誰にも。五人くらい仲間なんだけど。 心の中で「だってお前が我慢強いって言ったじゃん」とか。断片的には言いたいんだけど。・・・すっごいこわかった。 そんな高島くんも結婚しました。結婚式のスピーチで話そうかと思ったけどやばそうだからやめた。(@980112自ギャグの詩)
そんな高島くんも人の親だからね。(@060122秘密基地)

高島くんの渾名は○○○くんだったんですよ。彼を高島くんと呼んだことは一度もないんです。アヌくんですよ。 奇行が目立つ男で、給食の麻婆豆腐がもっと食いたくて給食用のリフトに乗ってレスキュー隊に救出されたとか。 高島くんちは貧乏で彼の家は白黒テレビで、大野くんの家でゴレンジャーの煙に色が付いていることを知って 「煙にも色があるんだ・・・」って泣いた男です。 ゲームセンターに誘うといつも断るんだけど、三ヶ月に1回くらい「行く」という日があって、 そういうときは髪の毛がつるつるで血だらけだった。 4年くらい後になって聞いた話だと床屋に行くと言って金を借りてカッターで・・・がんばってくれよもう!旦那になったわけだしさぁ! (@970915回自ギャグ)
高島くんちは貧乏で、畳はオプションみたいな珍しいタイプのアパートに住んでいた。 ある日僕の家でゴレンジャーを見ながら、ゴレンジャーファンを自負していた高島くんが言った言葉を今でも忘れない。 「後ろの煙にも色がついてたんだ。想像つかなかったよ・・・」
高島くんはホントにいい子でね、お父さんはビール買ってこいと3階から五百円札を投げつける方で、その五百円札がひゅらひゅら落ちてくるんだけど、お父さんが怖いことと高島くんが親孝行だったせいで、その着地点を正確に読むという・・・それくらい家庭の絆が強い家でした。(@990503だめにんげんだもの)
アタック25が終わったけど、わからないけどあの番組はカラーテレビが普及した頃にはじまったような気がする。自分の子供時代はクラスに一人か二人がまだ白黒テレビで、高島くんは赤レンジャーと呼ばれてる奴は赤いんだと脳内で色をつけてみてたんだけど、勢揃いシーンで後ろで爆発する煙幕にも色がついていることまでは脳内補正が追いついてなかったらしく、俺んちでそのシーンを見て「煙にも色がついてたんだ・・・」と泣いた男です。(@20211004老害さん)

高島くんのお父さんは高島くんの結婚式の時、タキシードを着て『一馬』を片手にイヤホンをしながら出席。 団地の4階から「タバコを買ってこい」と500円玉を投げつけてそれが高島くんのこめかみに。 (@970915漢師匠かく語りき) 高島くんの親父さんは御酒を召し上がる方で、五百円札に百円玉数枚をくるんで、四階からオーバースローで「ビール買ってこい」。 高島くんは普通に「はい」(@051017)

貧乏大臣大大臣の大大臣てなに?貧乏は高島くんのことだけど。(@970602漢師匠かく語りき)

近藤くん

マリオメーカーをやりつつ思い出すのは、30年前ロードランナーの面エディットで近藤くんとブロックで意味もなく「うんこ」と書いたりしてゲラゲラ笑いあってた頃のこと。ファミコン少年にはまだコンピュータが遠いところにあるから、エディット面はちょっとプログラミング感覚があるというか、それで「うんこ」と書くということにまずテンションが上った。
みんなで集まると、当時はセーブ機能がないから面をその場で作るんだけど、エディットにすごい時間が掛かるからみんなにちょっと外で遊んでこいよと追い出してる間に一人で作ったりするわけ。 みんなで集合して近藤くんちでつくるんだけど、近藤くんもみんな遊びに行っちゃって部屋には俺一人っていうあのかんじ。今思うと不思議な感じなんだけど。 で、戻ってくるとそれなりに凝った面がつくってあって、それをずーっと横にスクロールしていくと「おっぱい」って書いてあるみたいな。 すっごい手間のかかることなんだよ?そういうのがすごい思い出されて。
マリオメーカー、子供のいる家とかにはすげぇいいと思うよ。でもあのときの建、超面白いよって一番テンションあげてくれた近藤くんは死んじゃってるから、いま作っても俺には見せる相手がいないなって。 今みたいに世界に発信できることはすごいことなんだけど、俺世代はそれよりも近くでウケてくれる奴がいないと作れねぇなって。また部屋で一人で、すーんとしながら、静かに「おちんちん」とか書いたりしている。(@151005)

最初のスターウォーズが公開されたとき、公開日に近藤くんと上野に見に行った。聚楽の並びのところ。 近藤くんの見舞いに行かなかった理由は、もうTVにも出始めてる俺がわざわざ行ったら病状が悪いってことに気づいちゃいそうだったから。そういう奴だから。 あと正直近藤くんがそういう風になっている姿を見る勇気がなかったから。小一から中三まで一緒のクラスだった近藤くん。(@120125webjunk)

あれは僕への罰です。 RT 友達の近藤君の話題が出るとどうしていつもオチはアレなんですかw(@110801tw

小学校四年生の時に近藤くんがおじさんマンという漫画を描いていたんです。 近藤くんは絵もうまくないしお話もそんなにおもしろくなかったんだけど、僕はその漫画に出てくるおじさんマンというキャラがすごく気に入って欲しくなったんです。 そのころ僕はまんが道とかを読んでいたので、近藤くんに合作しようと持ちかけたんです。 1話ごとに作者を変える合作だったらば盗作じゃないしおじさんマンを自由に使えると。 という方法で僕はこのおじさんマンを手に入れて、ストーリーとか絵は絶対僕の方がうまいですから、調子に乗って自分の好きなように描いていたんです。 そしたら近藤くんがある日突然、これは建にあげる。おじさんマンは建が好きにすればいい、って言われてしばらく好きにしてたんだけど、近藤くんがすごい怒ってるんじゃないかなっていう気がすごいしたのと、これは結果的に泥棒じゃないかって気がしてきた。 近藤くんが次に描きだした剛電人ガルガスポン、これは絵も良くなかったしストーリーも良くなかったんですけど剛電人ガルガスポンという名前がすごくいいな、欲しいなと思ったんですけど、さすがにこれは盗れないなと思って。
でも先週ツイッターか何かで尊敬する人は誰ですかと聞かれてガルガスポン様ですと返したときに、ああ結局盗っちゃったなって。 ま、近藤くんは随分前に死んだんですけど。お盆はお墓に行こうと思っています。 最期病に伏せっているときに建がお見舞いに来てくれねーかなってずーと言ってたらしいです。僕は行きませんでした。僕は、行きま・・・(@110801ED)

中学校の頃、結局見に行かなかったんだけど、新宿の歌舞伎町でE.T.が来たら見に行こうねと近藤くんと話をしてたことを思い出す(@110627空脳)

癇癪玉をばらまいて、その上を下駄で走る遊びが流行ってた。 じゃんけんで負けた近藤くんが一歩目で転んじゃって、おもいきり顔面から落っこちて前歯で鳴っちゃったっていう・・・(@110714webjunk)

かき氷のシロップって全然メロン味、イチゴ味じゃねーじゃん!って言ったら、近藤くんが、 あれはイチゴ色、メロン色っていう意味なんだよって・・・(@110514webjunk)

舎人ライナーができて無くなっちゃったけど、日暮里の駅前のところは駄菓子問屋街で、そこには花火問屋もあった。 駄菓子ってそんなに売れないし万引きもあるから原価がめちゃめちゃ安くて、普通のお菓子が5掛けくらいとすると、下手すると1/10くらいで買えちゃうくらい。 だからロケット花火1000円分っていうと尋常じゃない量買えて、そのロケット花火で荒川土手で打ち合ったりしてよく遊んだ。
ある夜またロケット花火やろうと集まったら、俺達がいつもやる戦場の真ん中に、戦場気分を盛り上げるために美術さんが頑張ってくれたのかな?ジープが一台、止まってたんですよ、あんまジープなんて見かけないのに。今思えばかなりカスタマイズされていた格好いいジープだった。 おいジープ止まってるよジープ、と思ってたらそのジープが何故かゆっさゆさ揺れてて、でさ、近づいてみたら、当時中三くらいだと思うんだけど目に毒な事が行われてるんですよ。
うわすげー、うわすげーと思いながら、気が付かれたらまずいと一旦撤退して、土手から目を凝らして揺れるジープを見ながら中で行われてることに妄想を膨らませていた。でも、それもそのうち飽きてきちゃって、まだ花火もやってないからそこからロケット花火どんどん打ち込んじゃおうぜって話になった。
で、8人位で打ち込みだしたんだけど、俺たちそういう遊び方をして慣れてるから狙いもかなり正確なわけ。だから同時に着弾して、パーンと鳴ったときにジープが明るくなって・・・そしたらジープのそばに人影が見えるんですよ。 あれ、なんだあの人影・・・?ふと気づいたら近藤くんが居ないの。近藤くんずっと見てたらしくて、草むらの中近藤くんがそのジープに追いかけ回されはじめちゃった。 男も切れたんだろうね、いきなりそれやられた上に目の前にいるわけだから。
その様子を俺達は一番いい席で見てるからさ、ジープのヘッドライトに照らされた近藤くんが、転んだ!ジープが通過した!うわ死んだ・・・と思ったらジープの後ろから近藤くんが立ち上がってまた逃げてきて。。。ああ、いい思い出だな・・・青春てこういうやつだろ?(@100726)

公園に管理人小屋みたいな2畳くらいの小屋があって、セミを取ってはそこに放していた。 セミが鳴いてるというより、セミの鳴き声で小屋が振動するくらいの感じになった。 遠藤君と近藤君と中村君となんば君で、じゃんけんで負けた奴が中に入ろうぜとかやって、驚いたセミが暴れるのが超おもしろいわけ。 でも、セミもそのパターンに飽きたらしくて、最後に近藤君と二人で入った時に全く動かなくて・・・その時セミが全員こっちを見てる気がしてそれがすごく怖かった。(@080714)
セミが大量発生した年があって、ラジオ体操帰りに15匹とかとれるくらい。 友達の近藤君と、それを公園の1畳半くらいプレハブ小屋に窓から入れてた。 ある時高校生くらいの人が小屋の前に立ってて、何やってるんだと怒られて怖くなって、パニクッて横の近ちゃんに「なんでこんなことしてるんだ!」ていったら近ちゃんがビクっとして、「(小屋)ごと飛ぶと思ったから」って。 そんとき俺、・・・そんなこと思ってたの?と思った感じを覚えている。(@140421)

牛乳キャップをあつめるのが流行って、5枚で掃除当番1回代わるみたいのがあって、したら近藤くんが、キャップの真ん中に5って日付が書いてあるのを持ってるのを発見して・・・でも5月5日は子供の日で学校休みだからそんなキャップがあるわけねーのよ。 出たエラーコイン!とか思うわけ、こっちは。んで、近藤くんがやたらキャップを持ってて、エスカレートして近藤くんの掃除の分を2-3年分やることになっちゃったりした。
さすがにこっちももたねえって、あるときどこから入手してるのかつけようってことになって、したら田端駅のミルクスタンドのゴミ箱からごっそりとってるのよ。
田端のミルクスタンドにあるってことは、俺たちには自転車というハイテクがあるからって、山手線のミルクスタンドからごっそり、カリブの海賊ばりに持って帰った。そのとき、臭いと同時に、無意味だな、と気づいちゃった。
そっからブラジル通貨の大暴落がはじまるわけ。掃除一回がキャップ15枚になったり、牛乳キャップ安がはじまるわけですよ。 コーヒー牛乳キャップとか、小安くんにこれは掃除当番2ヶ月の価値があるとかって。 するとあるときから、俺は以降絶対取引しないって・・・紙くずですよ。 今思えばあれこそが経済ですよ。
・・・
子供の頃なにやってたかなー。近藤くんを探っていけば絶対わかるんだけどな、近藤くん死んじゃったしな。 見舞いも行かねーうちに。死んでからずいぶん経ってから、近藤くんのお母さんが泣きながら、今日来てくれただけでとしみつも喜んでるって言ってくれた。(@060502webjunk)

近藤くんがゲーセンでお巡りさんを轢いた(@051017ダークの旅)

男同士で海に行く途中、女の子との出会いの話題で盛り上がってたら、海に着いた直後に近藤くんが珊瑚で猛烈に足を切ってあわわあわわ、になって即帰宅。高校2年生なのに泣いちゃったんですよ。 で、担ぎ込まれちゃって、近藤君のお母さんってすごく過保護だから、早くとしみつを連れて帰ってきて・・・なんて。その近藤君は28で死にました。しかも実話です。(@050725ハレンチ学園)

sonsonの二人プレイで、建くんは豚だからトントンね、と豚扱いされたことにちょっと腹を据えかねつつ、俺の方がうめぇんだからってタケノコを採りまくってたら、途中で黙りはじめて、おとなしい奴なのに、いきなり「タケノコ採んなよー」って顔面の中央を裏拳で殴られた。を思い出しながらsonsonやる。
で、あと、殴った近藤くんは死んじゃったから。 あーあいつ、最期俺に会いたいと言ってたのに、仕事が忙しくてぜんぜん行けなくて死んじゃったから。 心のどこかで近藤くんが死ぬ前にお見舞いに行けばよかったって今も思ってるから。(@050523webjunk)

成人式の日は鞄持ちの仕事で成人式には行けなかったんだけど、うちの師匠の公演がたまたま荒川区民会館だった。 俺はぼろぼろの着物を着てるけど、同級生は晴れ着を着ていて、このあとボーリング行くけどって話とかしてるわけですよ。俺はこのあとも仕事だから行けないわけ。 したら師匠がおまえここ地元なんだからこのあと休みでいいわって1年ぶりくらいに休みをくれた。 そのままみんなでボーリング行ったんだけど、その終わりに近藤が、成人式同士なんて馬鹿じゃないですか、すれ違いざまに酔った勢いで難癖をつけたら大乱闘みたいになっちゃって ・・・ 俺は怖くて逃げたら、俺と同じくらい駄目でうすのろででかい高島くんが間に入って収めているのを見て、ものすごいブルーな気持ちになった。 もう近藤死んでくれねーかなとおもったら、ホントに4年後に死んじゃったんだけど。実話です。(@050424脳内商店街)

スーパーカーブームのとき「ぬ」を写すブームが俺の中で来た。 「A」の写真を撮り始めた近藤くんと喧嘩した。二十歳の時死んじゃったけどね。 (@050404脳内商店街・三人くらいで流行ったブーム)

小1年の2学期、「す」が書けなくて、 幼稚園の時に建築の建が書けて自信を持っていたし勉強にも自信があったから、 あんまり人に言えなくて悩んでいた。 近藤くんていう・・・近ちゃんね、小学校6年全部同じクラスで中学校3年も全部同じクラスで、 最終的には24歳の時に脳溢血で死んじゃったんですけど、悩みを打ち明けたんですよ。 「俺、近ちゃんの前で勉強ができるような顔をしてたけど、すの丸める方向に関して自信が持てないんだよ!」 「そうなんです」って書くところを「そうなのだ」とか書いて。
したら近藤くんのアドバイスがすんごい的を射てるわけですよ。 「建、落ちつけ、取り乱すんじゃない。テストの時落ち着いてクラスの中を見てみろ。 「す」は必ずあるんだよ」「す?」「朝は元気におはようございます、の最後は何?」 「すだ・・」「田中建と田中鈴子がいるから、日直が田中鈴子のときは田中括弧何?」「すだぁ・・」 その日からですよ、俺が「す」を多用するようになったのは。あの日の感動を俺は二度と忘れないと思います。 近藤くんに「す」が書けないことを打ち明けるのがすげーつらかったことを憶えているんですよ。(@041122) 「す」の縦棒をどっちに流すのかがわからなくなっちゃって、小学校の一年生くらい頃、どちらにもとれるように真下に抜いていた。(@140512)

家帰る途中に近藤くんが「今日自転車のらね?」なんて話して「おうっ」なんて。何それ?
池袋いかねぇ?ってサンシャイン60の地下のゴリラっていうゲームセンターにでっかいゴリラがあってそれを眺めて帰ってくる。 って今思えばぜんぜん面白くないと思うんだけど。(@040510FAX)

中三の時に、バイトやった金で友達と回転寿司を食いに行ったの。 はじめて自分の金で寿司を食うって時で、あらかた寿司を食い終わった頃に友達が皿に載って回っている紙パックのオレンジジュースを取ろうとして、それが120円の皿なの。 ほいで、そんなのおもてに行きゃあ70円だから取るなよって言ったら、前にいた板前が切れて「そんなね、営業妨害みたいなこと言うなよ糞ガキ」って言われて、サーッってすごい青くなっちゃって、そうかこういうことやるとおじさん怒るよなって思って、なんかよくわからないけど、その取ろうとしたオレンジジュースを近藤くんと一緒にチューチュー飲んで許してもらおうとした感じを思い出した。 (@020603ミスチョイ)

小学校の文集の将来の夢に近藤くんは造園業と書いてたけど、ホントだったのかな・・・(@010129だめにんげんだもの)

近藤についていうと、小1から中3まで一緒のクラスだったんだけど、同じ駄目人間なんだけど、運動も、俺はデブで、そいつは喘息持ちだったから遅かったんだけど、俺は途中でやめるけどそいつはビリでゴールするみたいな。 そいつは駄目人間の中では立派なんだよね。俺はね、あきらめる方向での努力はすごい。(@001211だめにんげんだもの)

行ってまいりましたよ、1年半をかけて。親友の近藤くんにお線香あげに。 近藤くんのお母さんはすごく優しかったですよ。葬式に行かなかったことも、見舞いに行かなかったことも、優しかったですけど、 その側にいたどうでもいいおばさんからえらい罵倒されましてね。 その帰り道あんまりしょんぼりしたんで、ペッツ買った。その頃の気持ち思い出したりして。 (@001211だめにんげんだもの)

高校に行ったり行かなかったりしてた時、中卒で植木屋の修行に入ってる近藤くんが上の人に怒られているところなんかに遭遇するといたたまれなくなって逃げた。(@990719だめにんげんだもの)

木村くん

木村くんが速度規制前の白いJOGを買ったんで、試乗で一回りさせてもらったら、カールの部分を壁にこすっちゃった。 夕暮れだったのでどきどきしながら、木村くんがカールの部分をのぞき込むような素振りを見せたら膝が折れる前に言おう、修理費かかるなら弁償するからって言うべき・・・ごめんその選択肢はなかったわ。笑
そしたら他の友達が俺も乗せてって言い出して、そいつがまたがってちょっとアクセルをふかしたら横の小料理屋につっこんで、みんなあーって思ってるところに俺だけ心の中で「ぃよし!」
で、そのあとに、木村くんが怒るかなと思ったら、つっこんだ友達におまえ大丈夫か?大丈夫か?って話になって、しかもその友達も自分がバイクを買う予定の金で弁償するからって言い出してたのが、それだと一緒にツーリングに行けなくなるし、カールなんて傷つくんだからいいんだよって方向に纏まっていったときに・・・あれ?って。(@120430)

木村くんのお父さんは工事現場の少し偉い人で、家の横にアパートがあってそこに工事の人が住んでて、木村くんはその部屋の一つを使っていた。 そういうところって生活が大変な人も住んでいるから、ある夜中にそこにいったら共同炊事場に明らかに日本人ではない女の人が全裸で身体を洗っていてすごくびっくりした。 またある晩行ったら、ゲームをやってる木村くんの横で黙って体育座りをしているアフリカ系の人がいて、そのあと木村くんと普通に雑談するんだけど、木村くんもその人も全くお互いの存在に触れないんで、俺にしか見えてないんじゃないかと思って怖くなった。 3時間くらいしたらボク、カエルヨって帰って行った。またあるときは3畳くらいの部屋から12人くらい出てきたりしてびっくりしたり。(@111125webjunk)

etc

高校の時によく行った友達の別荘、別荘っていうか定年退職したら住もうって買った普通の住宅地、 茨城県の藤代っていうところに建ってる家があって。 そのそばにあった病院の廃屋に肝試しに行くのが流行ってたんだけど、毎年のことだから俺飽きちゃってて、 自分だけゲームやってるからおまえら行ってくればって言ったら、 脱ぎたてのブラジャーとパンティがあったとそいつらが盛り上がってるのが羨ましくて。 また木村がその薄ピンクのブラジャーの脱ぎたて感みたいなのを上手に言うわけ。 皆が寝静まってから一人でコッソリ行った。
そこにはその後何度か行ってて、落語家になってからも霊感のある弟弟子を連れて行って泡吹いたりしてたんだけど。(@100726)

友人 友人2

 

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