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伊集院光少年期エピソードwiki
このサイトは、伊集院光さんの少年時代~黎明期のエピソードについて記録していく趣味のページです。

家族ネタ その1(父・母)

家族 家族2 家族3

親父さん

うちの親父はよく姉にブスにグレている暇はないんだぞって。 正確に言うと、おまえには顔に資本を与えてあげることができなかった。そういう人は誰々ちゃんと違って真っ直ぐ最短距離を歩いていくしかないぞって話を、よくしてました。 (@131028糞袋)

俺、幼稚園のときから自転車にのれるから、父親に押してもらった思い出がない。(@130805)

僕は邪馬台国に興味を持たないことにしています。なぜなら父親が猛烈な邪馬台国はどこにあったかマニアで面倒臭かったからです。 RT 伊集院さんは邪馬台国はどっち派ですか (@130521tw

ゴキブリ全員集合っていう、ドリフがCMやっていた、ゴキブリホイホイの後手に回った製品を作っていた。 俺の中でゴキブリ全員集合っていう言葉が、地球中のゴキブリが自分の家に集合しそうで嫌だった。(@120528)

父親に凄い怒られて、基本手を出すタイプではないんですけど、結果殴らないと僕を教育できないと判断したときに、冷静なまま「今から君に痛みを与えることでいろいろ覚えてもらいます」っていうわけ。 僕の頬のところを触りながら、今からここを殴りますけども、たとえばあなたが避けたりしてテンプルにパンチがヒットしたりすると身体によくないので、何かあっても骨の構造が簡単なここを殴ります、みたいなのをやるんですね・・・あんたおかしいよ!笑
だから、これは殴られるなと雰囲気でわかるわけです。 そんなある時、テレビマガジンかテレビランドに載ってたロボコンに出てくるロボカーのプラモデルが発売されるという記事が目に入って、現実逃避のために、それに乗ってみようと頭の中で組み立てて大きくして、助手席に乗りこんだところでぶん殴られて目が覚める・・・というような特性は今でも少し残っている。(@120130空脳)

俺がアルバムを見ていつもびびる怖くて捨てることもできない写真がいっこだけあって。 それは、うちの親父は近所の人がおまえの親父はロボットなんだろというくらい表情に変化のない人なんですけど、その親父が大学生時代に仮装して踊り狂っている写真。 その写真が高校生くらいから怖くて怖くて。知らねーあいつがいるって。(@110425空脳)

酵素パワーのトップを作ったライオン油脂という会社に勤めていた。 当時でも洗剤のサイズを今みたいに小さくできたんだけど、小さくする度に損した感が出て売り上げが落ちるので、結局あのサイズでしかいけないと言ってた。(@090302早熟おじいちゃん)

お袋の財布から金盗んだ時に「おまえな、泥水というのは低い方へ低い方へ流れて行って どんどん汚れていくんだぞ」(@081208)

41歳の親父の記憶って自分が小5の時だから完全に覚えてるんだよ。だから今の自分と比べられるじゃない。 そんですげーなって思うのが、俺が小5で姉貴は中一なんですよ。でグレ始めてるんです。ブスなのに。 一人娘がブスなのにグレ始めたって考えるじゃん?俺にブスの一人娘がいてそいつがグレ始めたと考えたらもうご飯の味がしなくなっちゃう・・・。↓

兄貴は中三で、もともとすごく頭がいいのに一番上のランクの学校には受からない、みたいな感じで塞ぎ込み始めてた時期で、そして俺は俺で小5の俺の奇妙な行動が少し始まってて。 当時うちはターニングポイントを迎えていて、元々はお袋のお母さんのお父さんが建てた家が自宅兼アパートで「はじめ荘」っていう名前だったんだけど、 なんではじめ荘っていう名前なのって聞いても理由はないといわれたアパートで、うちの親父は婿養子ではないんだけどそこに住まわされてるという状態だった。 で、親父は一念発起をして自宅を建てたわけ。そしたらすぐに俺が、細かくは言えないけれど、 その床をタミヤカラーの蛍光オレンジで塗った事件が発生したわけですよ、ローンが34年と11ヶ月も残ってるのに。 ・・・あ、細かく言うと、ランボルギーニミウラの赤いプラモデルを蛍光オレンジで塗ってたんだけど、塗るときに床にぼたぼた垂れて床の一部が蛍光オレンジになっちゃったんですよ。 親からローンの話もされてたから、一部がオレンジじゃ親が悲しむと思ったんだろうね、少年は。 全部蛍光オレンジにしちゃえばいいんじゃないかと思って塗りはじめたら、俺弟と一緒の9畳の部屋だったからタミヤカラー一本で一畳も塗れなくて、小遣いと当時行ってたピノキオっていうプラモ屋のサービス券をはたいて8本くらい買ってきて、だいたい3畳分弱くらい塗ったところで、もういいやと。 ホットカーペットだったから春先になって捲ったら「なんだこれ?」「塗った」・・・そんなのに今の俺が耐えられる? 俺小5でしょ?親の金コンスタントに盗んでますからね。もうさ、がっかりですよ。↓

さらには、当時はわからなかったんだけど、その頃親父たぶん左遷されてるんだよね。 親会社の部長が子会社の部長になるって左遷だよね?しかも片道一時間半くらいかけて通ってたし。
・・・そういうこと考えてたら猛烈ブルーに。今の俺には絶対できないし。 当時親父の部屋ってなかったし。親父とお袋の部屋しかなかったし。愚痴とか一度も聞いたことないし。 相当あいつ大変だったろうなと思うね。横見りゃかみさんドブスだし。(@081027)

親父が40の時と言えば、一緒に松原湖に行った。家族6人で会社の社宅に。(@080616)

田中たかしの実家は葛飾区の真ん中にある(@070806)

子供の頃に親父から聞いた話で、 たぶん風呂か何かに入ってるときに、まあお父さんがおまえくらいの時みたいな言い方してて、 たぶん俺が小3-4年くらいの時に聞いた親父の小学校3-4年くらいの時の思い出の話で、 印象深いというか、うまく言えないけど好きな話があって。↓

なんかこう、親父のおばあちゃんの家が奈良にあって、俺の曾ばあちゃんね、 山の奥の方にあるんだけど、そこに疎開だったか夏休みだったかで泊まりに行ってるとき、 裏山かなんかで遊んでたら弟とはぐれて、で、どんどん山の奥の方に行って疲れちゃって、 休めるようなところまで歩かなきゃと思って歩いてたら、こう、河原が広がっていて、そこにね、 未だになんだかわからないんだけど、畳三畳分ぐらいの平らな一枚岩があって、ほんでこう、 とりあえず体力が回復するまで休もうと、平らな岩の上に小学校3年の親父は大の字になって寝た、と。↓

その後親父は、高校行ったり大学入ったりするんだけど、歴史の勉強とかする度に、あの平らな石は、 あの奈良の山奥の、まだ誰にも発見されていない遺跡みたいなもんだったんじゃねーかと。 俺は大発見をしそうになってたんじゃねーかっていう気がしてる、みたいな、未だにそんな気がするんだよねみたいな話を聞いてて、それを俺は凄く覚えてて、で、俺が高校一年くらいの頃、俺はもう親とかとあんま話とかしなくなってて、学校も行ったり行かなかったり、そういう頃、 なんかこう親父と二人きりになっちゃって、そんときにね、バイクの免許を取って、 後ろに人を乗せるブームみたいなのが、中型だったんで、俺に来てたから、何となく親父に、 昔話してたあの奈良の山奥の石の話覚えてる?って聞いたら親父が覚えてると。 んで、今度、一緒に奈良行かね?みたいな、その石が未だにあるのか、ホントにあったのかを確かめに行かね? みたいなことを遠回しに聞いたら、親父が行かねぇと。↓

こっちからしてみると、なんか、会話のなくなった親子関係の中で、子供側からのサービスくらいの感じで、 親父はすごい食いついてくると。高校にも行かなくなっている息子が、サラリーマンの親父を後ろに乗っけてツーリングに行く、みたいな。 その絵はものすごいドラマチックで、格好いいんじゃねーかみたいな意識で聞いてるのに、 当の親父が行きたくねぇと。で、かなりテンション下がったんだけど、なんでって聞いたら、 とにかく行きたくねぇと。それは、行ってみっかんなかったら無駄足だからかって聞いたらそうじゃねぇと。 みっかんないのと、すげぇものがみっかんのとは両方とも問題ないんだけど、大したものじゃないものがみっかるのが嫌だと。 もし実際に行ったら、三畳もなくてなんとなく平らっぽい石だったりとかしたら嫌だから行かないと言うわけ。↓

で、そこはそれで話は終わったんだけど、結婚する頃だから、 親父が60寸前で、俺が30寸前くらいの時に、またたまたま何かで親父と二人っきりの時間があって、 その頃はもう二ヶ月にいっぺん口聞けばいいかなくらいの頃で、あと一人暮らしもはじめてて会う回数も減ってたんで。 したら親父と二人っきりになって、親父が急に石の話覚えてるかって言い出して、 それは覚えてる、と。んで、さらに、10年から15年くらい前におまえが、一緒に石を探しに行かないかって言った話覚えてるか?と。で、それも覚えてると。 で、その石を、最近探しに行きたいと思ってるんだけど、と。↓

で俺はそん時に、15年前のことを少し根に持ってるっちゃあ根に持ってるから、 もし行ってしょぼかったらキツイから行かねぇんじゃなかったの?みたいなこと言ったら、 最近それはそれでよくなった、みたいなこと言ってて、でもう話はそれきりで、 行ってもいないし、現に結婚して10年くらい父親と会ってもいないんだけど・・・最近ね、なんかわかんだよね。 なんかこう・・・45歳くらいの親父が、行ってしょぼかったら嫌だなと思うことも、 60寸前くらいの親父が、行っとかなきゃいけないんじゃないかって思ったのも、なんかわかんだよね。 でまあ、親父は70に一月の終わりになってるはずだけど、今どう思ってるかはわかんない。(@070409)

親父はクルミが好きで、クルミ割り機なんて気の利いた物はないから、板で挟んで割っていて、 それをクルミ板と呼んでいた。(@061203秘密基地)

親父達は、俺が小学校5年の時に、つまり今から30年くらい前に改築するときに、 老後のために4人の子供部屋を貸部屋にするために共同の炊事場とトイレを準備したんだけど、 今は最早そんな時代ではなくなってしまって、15年くらい前からその炊事場はベニヤ板で覆われている。(@061203秘密基地)

39歳頃の田中たかし。
小学校の運動会でハッスルしてた。黒い鼈甲の眼鏡を掛けていた。七三分けだった。 家にいるときはラクダのシャツを着てステテコを穿いていた。ちょびひげを生やしていた。 学校の宿題で親がどういうふうに働いているかという宿題が出て、会社に連れて行ってもらったことがある。
小学校の時日本地理を勉強するときに、どうしてか四国というものがしっくりこなくて、 九州はありそうだけど四国っていうのはどうも納得できなくて、 何日かご飯の味がしなくなっちゃって、親父が心配して、じゃ四国に行こうってことになって、 四国に行って、すげぇホッとした。(@061106)

むかし親父と夏素麺を食ってたら茗荷が欲しいという話になって、俺が近所の生け垣の中に茗荷が群生している家があるよって言ったら親父が俺採ってくるわって言って出て行ったんだけど・・・。 俺の感覚だとご近所さんだから一声かけたと思ったんだけど、下町だといちいち声をかけないところもあるから、4個ぐらい摘んだところかな?おまわりさんに覗きか何かと思われて職務質問された。 親父もなんか茗荷を盗んでるような感じになっちゃっておまわりさんに「何のよう?」的な応対をしちゃって結局あとで家族で謝りに行ったことを憶えている。(@060828伊集院島)
うちの親父はむかし茗荷泥棒で追っかけられたことがある。(@090601友達でいよう)

うちの親父は、映画残り30分くらいに入って最後まで見て、巻き戻しの後にそこまで見て、それで納得する人だった。俺もそれにつきあわされていたから、こんなもんなのかなと思っていた。(@060816webjunk)
昔の映画館は今みたいに入れ替え制じゃないから、ぐるぐるループしながら放映されてて、それを親とか平気で開始20分経ってから入っちゃうんだよね。で、最後まで見て、次ループで頭から見て、繋がったっつって平気で帰るわけ。猿の惑星とかを地球だったのか!ってところから何かわからないけど猿がいるって・・・うちの親父とかそれでハイ完成つって帰るから、子供ながらにそれが嫌でさ・・・(@160725)

うちのお父さんは、即席プリンの開発スタッフだった。(@060226秘密基地ED)

お父さんに昆虫図鑑を買ってもらったんだけど、ここにのってない虫もあるんじゃないのと疑っていた。そしたらお父さんが甲虫(こうちゅう)の図鑑も買ってくれた。(@051114)

うちの親父は俺が中2くらいでタバコをやめてた(@050620)

うちの親父が本気で怒ったときは一切表情を変えずにホワイトボードを取り出して、何を怒っているかを書く。 随分長い間どこの家庭でもそうだと本気で思ってた。(@041227脳内商店街)

俺とぞうとの一番古い記憶は、親父がアメリカで買ってきたと主張するカードを通すと 「えれふぁんと」と音が出るオモチャ。ただその時期にアメリカに渡航した形跡はないんだけど。(@031006)

今年の新聞の外国人選手紹介、クローマーの欄に「まじめ」って書いてあった。 まじめっておい。俺の親父もまじめだけど全然プロ野球はいらないし。 未だにちょっと出かけるの、背広だよ?定年なってるのに。(@030203)

経験ありますからね僕ね完全にね。イヤホーンでしたけどね。 俺泣いちゃったんですよ。だって気がついたら後ろにお父さんが立ってたんですから。 お父さんもどうしていいかわからない感じがしたんですよ。僕を傷つけまいとして出た言葉が「いいよ続けて」・・・それは無理だから。中三だったんだけど。(021223平成珍カルタ)

「か:家族みんな内弁慶」・・・うち割とそうだったな。 親父とかも社会のことをすごく語ってる割には下を向きながら会社に行くようなタイプだったからね。 母親も近所のおばちゃんの悪口をすごく言う割には井戸端会議では静かな聞き手っていう感じで。(@021125平成珍カルタ)

ライオンが出してたシャワシャワはバスクリンに負けないようにとおまけをつけてたんだけど、親父はそのおまけを開発する担当だった。 うちにもって帰ってきた試作品を持ち出してバットで打ったらどっかにいっちゃって、企業秘密だから真っ青になってた。(@021007)

俺が高校一年生の頃とてもオートバイに乗りたかったんだけど、当時3ナイ運動というのがあって、子供にバイクはダメという風潮があった。
その時親父にバイクに乗りたいといったら、うちの親父はすっごい理路整然とした人ですから、
「僕は危険だと思うし、僕は事故起こしたら責任が取れないし、あと二輪に乗ったことがないから二輪が楽しいという感覚も僕は価値観としてわからないから、僕としては賛同しかねる。 ただ、16歳になったら免許をとっていいというのは国が認めた君の権利だから、僕がこれくらい反対してるよということをわかった上で、取る乗るということに関しては、それ以上とめる権利は僕にはないですから、そこは、自分でどうぞ。 ただし、その自分でどうぞの意味合いに関しては、ローンを組む時の名義を貸すとかそういうことすらないです」
しかもすごいのは、僕が意味合いをわかりやすくまとめていってるんじゃなくて、これがまんま父の言葉遣いですから。
・・・って言われたんですよ。それに関してはぐうの音もでないじゃないですか。
たかしの言ってることは理屈としてはあってるから、しかたないなと95%くらい思ったんだけど、その裏の意味としては、要は乗るなってことじゃん、みたいなことも思ったから、ある日母親に、ちょっとキレ気味に「バイクのりてぇんだよ」みたいな話をしたわけですよ、リーゼントをゆさゆささせながら。
したら母親がなんかものすごいウキウキしながら、じゃあお母さんが頼んであげるって言いだして、で夜、晩ごはんのあとに頼むタイミングみたいだったから、ちょっと席外してみたら、
「なんか乗りたいらしいのよね。安全運転のことはちゃんというからローンの名義くらい貸してあげたらどうなの」なんつったら、親父がまたロボット口調で「いや、僕の意見はぜんぶまとめた上で言ってるんで、それに関して譲歩する点は、ないんですよね」っていう・・・
またそういう人なんですようちの親父は。夫婦の会話もそれですから。
そこでうちのお袋はそういうところがいかにも下町の主婦ですから、「そんなこと言ったってあの子のりたいじゃない!」みたいなトーンになって、なんかわからないけど、俺に相談されたことをめちゃめちゃ意気に感じてヒートアップしてるんですよ。
でそのあと「この家建てた時も、上はアパートにするって言ってたのにガスの関係で結局ダメだったじゃない」とか全然関係ない話がはじまって・・・(@020930)

親父がまた本が好きな人で、本には無駄がない、絶対に捨てるなという洗脳を受けたので本が捨てられない。(@020325)

7歳くらいの時に見てた日本沈没。 37歳だった親父が見てるのを背伸びして一緒に見てたんだけどね。今見るとさすがに子供向きになっちゃうんだけど。 25くらいまでは設定の矛盾とか特撮のちゃちさとかを突っ込みながら見るのが好きだったんだけど、最近は思うのは、そういうもんじゃねぇなと。(@010806)

俺がエロ本を焼いてるとさ、うちの親父が横から銀紙に包んだ芋をぽんぽん投げ込んできて、 それが嫌でさ・・・それってある意味ノーパンしゃぶしゃぶみたいなもんだろ?(@001106だめにんげんだもの)

親父が会社の友達と普段どんな風に話しているかって知らないじゃないですか。
あるときゴルフコンペの前の日に同僚と電話で冗談を話しているのを聞いて、 なんでも冗談ですませてくれそうな親父の姿をみて、実際は絶対そんなことありえないんだけど、うわっ気持ちわるって思った。(@991227だめにんげんだもの)

毒作りってやった?俺は親父がライオンにつとめていて、そんときシャワシャワっていう、 まあこういったら見も蓋もないがバスクリンみたいなものをつくってて、 その試作品がいっぱいあったからそれ使って毒作りやったなぁ。 これでアフリカ象が一発で死ぬ、とかいう自分設定で。(@990628)

うち、もう定年でやめちゃったけど親父がライオンに勤めていてさ。 シャワシャワっていうバスクリンみたいなものがあって、あのおまけを死ぬほどもらったよ? 動物蛇口っていってね、カバの口からチョーっと水が出る奴。
普通の家はそんなシャワシャワなくならないじゃないですか。 だいたい下町の貧乏の家ばっかですから、何度も沸かし直して今日は変な色になってきたからシャワシャワでごまかす?みたいな。そんな入れ方だったですよ昔は。 今みたいに今日は温泉気分、みたいな入れ方はしませんよ。 ちょいやばい、な色になったときにシャワシャワ入れておっけーおっけーでしたから。俺だけカバだけ五連結させたりして。(@981207自ギャグの詩)

野球を見にいく途中、親父が痴漢だかスリだかと間違えられて駅長室に連れて行かれたことがある。 親父はライオンにつとめていて、当時生理用品の開発をしていて仕事帰りだったので鞄の中にその試作品がたくさん入っていて、それをあけさせられた時の親父の顔が忘れられない。 (@980817自ギャグの詩甲子園SP)
会社帰りの父と上野で落ち合って横浜球場に行く途中の関内駅、子供の目の前で、小学校五年くらいでしたかね、痴漢に間違えられて連れて行かれました。 父は頑なに持ち物検査を拒否していたんですけども、あけたらアタッシュケースいっぱいの生理用品が。なぜなら父はそういう会社で研究をやってる人だったから。 その時の、周りの皆さんの「ホンボシ見つけた」という感じの顔と、僕が一言言った「お父さん、プレーボールに間に合わなかったね」という言葉が、今僕の頭のなかで繰り返されますね・・・ (@990503だめにんげんだもの)
それは最後に親父と野球を見に行った日で。横浜球場。そんときの親父は野球見てても二度と笑わなかったなぁ。 (@050207脳内商店街)

親父と風呂に入ったのは小1くらいが最後(@980223人生ゲームネガティブ版)

うちの親父が男前ってーと三浦友和を挙げる。(@980119,@000626)

うちの親父は奇行が目立つ人だったんだけど、その子育ての方針のひとつに「寝るな」ってのがあって。 小一くらいだと夜8時でもう眠いじゃん? それを「キミキミ、惰眠を貪ってる子は立派な大人になれないよ」というのがうちの親父の口癖で、夜遅く寝て早く起きる生活をしていたおかげで、今でも一日3~4時間しか寝られない。(@970908)

家族をキャスティングすると、親父は俺の顔体つきからすると意外だよ?矢崎滋っていう感じ。 基本的に科学者肌の人。お袋はまんまあき竹城そのもの。それが恋愛結婚。どんな恋愛結婚なんだおまえら。 兄貴は今の病的に痩せ始めている小林亜星。・・・姉貴はぬえですね。嫌いですからね。(@961209)

女性の月に一度という奴を知ったのは、僕は早かったですねぇ。
僕のお父さんは某大手の薬品メーカーにいるんですけどね、この人が一時左遷されましてね、 アンネっていう会社に行っていたもんですからね。 小学校4年くらいの時に横浜球場が出来て、会社の帰りに落ち合って、野球を見に行ったんですけど、 関内っていう 駅に向かう途中に、うちのお父さんに痴漢の容疑が掛けられたんですよ、息子の前で。 それで鉄道公安室に連れて行かれてアタッシュケースを開けろと。開ける開けないで押し問答になって、親父が開けたらそん中に生理用品がぎっしり。そんときの親父の切なそうな顔ったらなかった。↓

具体的にきちんと知ったのはね、下田に移動教室っていう泊まりがけで行く授業があって、男子はクラスで自習、女子だけ視聴覚室でビデオ・・・これは東映まんが祭に違いないと。 女子は大人だけど男子はトンボを追っかけてますからね。 贔屓!贔屓!の大合唱。これは俺が見に行くしかあるめぇって・・・ショックだったね。↓

でもうちの親父はこのことに関しては厳しかった。 姉貴がいるから、そういうことになるじゃないですか。ちょっとからかったら猛烈に怒ってね。 そんな親父は高分子吸収シートとママプリンの特許を持っている。(@961209)

昨日かみさんが横で寝ているときに親父のことを考えていたら、親父と風呂に入ったのが幼稚園から小学校1年くらいまでなんだけど、でもね、確かにね、プロじゃなかったよ。たぶんセミプロ。アマチュアではないけど。 うちの親父も何が悲しくて来年定年を迎えるのにラジオで仮性包茎だって言われているのかはわかりませんけどね。(@961209)

うちの親父はいまだに正月全員が集まっても2秒しか顔を出さない(@961202)

爺さんに死ぬ寸前まで「あの庭だけは大事にしてくれ」と言われていたのに、四十九日と同時に切り崩し、有料駐車場になったうちの庭。あの時の親父の行動力。 爺ちゃんが弱ってからは、うちの親父は土地目当ての婿養子だと言われ続け、耳をふさいで来ましたが、四十九日と同時にそれが本当であることを発揮したときの、あのときの、今までのうちのお父さんとは違う毅然とした態度ですね、 誰にも何も言わずにブルドーザーを手配してましたから。 中でも圧巻だったのは爺ちゃんが半世紀育てた松を最初になぎ倒したとこですね。(@961202)

初めての一人暮らしで下北に住んでた頃、親父がフルーツブというシャンプーを送ってくれたときは、 業務用一斗缶で4個。開け口がないからタガネで削って穴開けてオタマですくって使ってた。 俺はお墓か。俺は堅焼きそばか。そういう親父なんですよ。量送れば喜ぶと思ってる節がある。(@960729)

うちの親父はね、気が弱いんだよ。親父が留守番してるときに必ず取ってる新聞がどんどん増えていくから。 最高で6紙とってたからね。ある時お袋と兄貴と買い物に出て帰ってきたらまた挙動不審なんだよ。 で夕飯食ってるときにさ、いろんな新聞を読むことはいいことだな、って言い出すわけ。 また増えたなってこっちは思うじゃん。で、やっぱり日刊スポーツかなんかをとってたんだよ。 お袋も怒ちゃって、断ってきなさいと送り出したら、アエラも契約して帰ってきた。
俺その後も多紙読むくせが抜けなくてさぁ、下北沢で一人暮らししてたときに8紙とってて、破産しそうになった。(@960520FAX)

母ちゃん

中学校二年のときにお袋が、わたしは野菜を見るのも嫌だという話をはじめて告白。 お父さんとの約束で、こどもが全員小学校を出るまではそれを言わないということになっていた。 自分のお袋を褒めるのもなんだけど、それまで一度もそのことを俺に悟らせずにいたのはすごいなと。(@181113とらじおと)

うちのお母さんが言ってたことだけど、おなかが痛いときは右側をしたにして寝ると治るって。言われてなかった?うちだけ?(@111205)

昔笑っていいともに初めて出るときの朝に厚揚げを食べて行けと言われてぶち切れた。(@110509)

幼稚園はいる前からの友達がいて。 しかも俺が生まれたときに、そいつのお母さんと俺のお袋が同じ病室、東京女子医大第二病院で、同じ11月に生まれてめちゃめちゃ仲がいいみたいな。 そいつと高校くらいから疎遠になって、また25-6くらいになってまたちょっと会うようになって、そいつから小さい頃の話をされたときに、小5くらいにおまえのお母ちゃんにすっごい切れられて、それいらいお前んちに朝迎えに行ったりしないようになったんだと言われて、うちのは下町の典型的な外面のいい母親だから、自分が知ってる母親像と合わなくて怖くなった。(@110425空脳)

中2の頃、親にエロ本が見つかりましてね。 家に帰ってきたら僕の勉強机の上に今までためにためたエロ本が二つの山になってて、片方の山の方にお袋の肉筆で「不健全。処分してください」って書いてあって。 もう片方の山の方の合格基準もわかんないんだけど、お袋が一旦OKを出したエロ本なんてもう読めないでしょ?どう考えても。 結果、家出ですよ。この家にはプライバシーがないって。(@110404)

しなきゃいいのに同じ野球部の誰くんにはもう彼女がいてみたいな話を、俺も機嫌がよかったんじゃないの? お弁当とかおにぎりが野球のボールの形にわざわざしてあったりしてさ、みたいな話を、したんだろうね、金曜日かなにかに。 したら、月曜の弁当にさぁ・・・おめーにやれっつってねーじゃん。 おめーに野球のボール型にしろって言ってねーじゃん俺の彼女でもないのに。 佐野くんの彼女と張ってんのおまえ?(@080512ナイナイアルアル)

親って子供が寝ないと、怖い人が来て連れて行かれちゃうよ、とか脅かす話があるじゃない。
その中ですっげぇ怖い話でおぼえているのが、5歳くらいの時だと思うんだけど、うちの母親は、話作るのが好きなんだろうねあの人は、そこにオリジナリティを加えるわけ。 おじさんに連れて行かれる先は、コンクリートビルがあってそこに人の形にコンクリが彫ってあって、その合うところに嵌められちゃうらしいんだ俺・・・それがすっげぇこわくてさぁ。
でも当時から異常に太ってたから、俺に合う穴はないよね?と聞くと「神原くんみたいな子は合う穴がたくさんあるけど、あんたにはあんたにしか合わない穴がある、デカイから。 だからお母さんがもう持って行っていいです、穴に嵌めていいですよって言ったら・・・走ってくるよ?」って言われて、もうそれがすっげぇ怖くてさぁ・・・(@080512)

うちの母ちゃん、名物っていうんじゃないんだけど、PTA会長とかやってたんで校門に立つ日があったの。 で、俺に声かけられるのもキツかったけど、知らない生徒にちょっと時代遅れのギャグを入れながら、首のカラーを留めてない生徒に「ホックをしないの、なんでだろー」(注:テツandトモのネタ)みたいのやるわけ。 ・・・もう知らない穴に落ちたかったよ。(@070514やばい母ちゃん)

親の心が折れたなぁと思ったのはね、一人暮らしをはじめて二年ぶりぐらいに実家に帰ったら、 玄関のドアが開いてて、ちょっと買い物にって感じだったんだけど、 ジャーを開けたら松茸ご飯が炊けてたんでビニル袋に入れて根こそぎ持って帰った。 あとで留守電に「建ちゃん、帰ってきたのはわかってるのよ。・・・クスン」シクシク泣いてんの。 ずーっと泣いてたなぁ。(@070101伊集院島ゲーム)

穀を潰していたとき、ちょっと親孝行したいときは、ジャンプ買ってきてではなくジャンプと履歴書を買ってきてと言ってた。(@061023ハレンチ学園)

おでんおじやが大好きだった。でも誕生日会に出すことないじゃん。10回目の誕生日に。 好きだけどパブリックな場所にそれを出しちゃう気遣いが足りない。(@060629webjunk)

俺が10歳くらいの時に、確か母親と見に行った八甲田山。 ただ券もらって。 ただ券2枚しかもらえないと、兄貴も映画興味ないし弟も姉貴も興味ないから、大概俺が連れて行ってもらうんだけど。 で、すっげぇ気に入って、是非サントラが欲しいと。雪の進軍っていう雪中行軍用の軍歌が気に入っちゃって家で何度も聞いて、学校とかで歌っちゃってまた距離が離れていくっていう・・・。(@060619)

母親がハタキをかけるのって、俺の作ったグフを壊すためでしょ、基本。(@060515伊集院島)

だっこすると負んぶ、おんぶすると肩車。あなたは小さい頃からいつもそう。(@060514秘密基地)

パンの耳を揚げてカレー粉を塗したおやつがあって、俺も大好きだったんだけど、金持ちの子が遊びに来てそれを出したから、恥ずかしいからそんなもん出すなよって言ったら、次から塗す粉がシナモンにかわった。(@060410webjunk,@060629webjunk,@140602)

親の金は盗むが万引きはしない子だったんですよ。親は許してくれても世間は許しちゃくれねぇって。 あるとき親の金を盗んで買った鉛筆を当時気になってた女の子にあげたらその女の子の親がお礼に来ちゃったので、親の金を盗んだというとまた怒られるので万引きしたことにしたら、親の金盗んだときよりも何倍も怒られて、今から店に謝りに行くことになった。 文房具屋であやまったら今度から気をつけてねと言われた。 盗んでないのに。いまだに母親が何かある度に、好きな女の子にあげるために万引きしたという話をする。 (@060115秘密基地)

110番は切っても切ってもかかってくる。 電話機を押し入れにつっ込んで母親にこっぴどく怒られて警察に謝りに行った。(@060109)

親がだぞ?親があんた蛇みたいな目をしているねと5歳の時に俺に言ったんだから。(@060220)

小五の時「あんた蛇みたいな目をした子だよね」(@051219,@060206,@?)

母親から蛇みたいな目をした子だねと言われて育った奴がナイスミドルになんてなれるわけがないでしょ。(@020513)

お母さんの面白いのってきついからなぁ。
オールナイトニッポンの頃はまだ実家にいましたから、ネタとか作ってると横から母親が来てさ、こっちは一応お笑いのプロだぜ?「お母さん面白い話あったんだけど」みたいなやつを、放送作家の大御所なみの上から目線で来るわけですよ青島幸男クラスかっての。 そのあと言う言葉が「名前は出さないでね」みたいな。ぜんっぜんおもしろくねーよお前の話してるの。 なんだ試食をたくさん食うおばさんって。 「ギャラ半分もらわなきゃね」って、もう怒り込み上げんな・・・(@041227脳内商店街)

親のついた小ウソって覚えてんなー。
うちのお袋、メンマは割り箸を煮て作るってしれっと言われたから、言われてみればそんな感じだと思ってたから、俺たぶん中二くらいまでちょっと信じ気味で、中学校の時に4~5人の友達には言ってると思うよ。 「メンマは割り箸で作るんだよ、知らなかったでしょ」 心のへぇボタンはかなり押されてると思うよ。(@040823イジュパパ)

買ってきたさDVD-R。
我が家でですよ、我が家でDVDが焼ける時代がもう来てるわけですよ、言っときますけど。
俺の小学校3年の時には、お袋が嫁入り道具に持ってきたトースターがぶっ壊れてて、パンが焼けねー時代ですよ。燃やせた時代ですよ、逆に言えば。スイッチ入れれば。(@030505)

お袋にきれいに作ったグフのヒートロッドを折られて、絶対直せよなこれ!と言ったら、ホビージャパンを買ってきて読んでるの一生懸命。。。 中学・・・いやもう高校入ってた。(@021202)

兄弟4人が部屋を片付けないから、母親がそんなにちらかすなら一生片付けませんと宣言して、それ以降ホントに片付けなくなった。(@020325)

リハビリ的お遣い・・・俺そんな時期、絶対あったわ。 高校やめそうでにっちもさっちも行かなくなってた頃、よくお袋が意味もなく、いよやでチーズ買ってきてって。 誰も食べやしないのに。おそらくあれはそうでしょう。(@001127だめにんげんだもの)

うちのお袋、俺高校やめてから、背広を買っといてくれたな・・・なんだあれ。ひとつは紺の背広で、もうひとつは真っ赤な背広。 たぶんお袋の中でのお笑いって感覚がよくわからなかったんだろうな。一度も着ませんでしたけど。一度着たかな?真っ赤っかな背広、買ってあったなぁ。(@001030だめにんげんだもの)

俺とお袋とおばあちゃんが誕生日一緒。代々その日に生まれてますから。 俺ってほら、工場で出来た人だから。製造番号が一緒だから。(@001030だめにんげんだもの)

親の金盗んで怒られて小遣いをゼロにすると言われている最中にもういっぺん盗んで、おでん屋でおでんをくっているところを見つかって、そのおでんどうしたのと言われ、おばさんがくれたと言い訳。そのおばさんが前にいるのに。
おばあさんが「いや買いましたよ」ってたら、そのおばあさんがボケてるんだって強弁。 しかもそのおばあさん俺の親友のおばあさんなの。最悪ですよ、やってること。(@001002だめにんげんだもの)

俺、自分のお袋がPTA会長みたいなのをやってた時期があってさ。
そんときにさ、なんかこうちょうどあんまりこうしっくりいかない時期みたいな、中2くらいの時期でさ。 かわいそうだと思ったもん。子供達の、学校があれてるのをどうするかって言ってるときに、てめーの子供が学校途中から抜け出したり来なかったりとかしてる時の、かわいそうだと思ってるけれども、だったらお前PTA会長辞めればいいじゃん、みたいな発言しか出なかったね、当時はね。 今もあんまごめんとも思わない。今の流れだと今はごめんと思ってる流れだけどね。そうでもない。 (@000626だめにんげんだもの)

榮太郎のみつまめのつゆの取り合いで兄弟4人で殴り合いの喧嘩をしたことがある。 デブだけど蜜の方はそんなに好きじゃなかった。 ばあちゃんがよく作ってくれたきな粉をお湯で溶いた奴を飲まされて、病気の小鳥になった気分だった。 うちではお袋がケチャップで炒めた肉をご飯の上にまんべんなく並べたものをイタリアンライスと呼んでた。 幼稚園の頃からそう呼ばれていればイタリアンライスだと思うじゃん、イタリア行ったことないし。 よそで言って大恥かくじゃんそんなの。 あと、インドスープってのもあったけど、ありゃたぶん昨日のカレーの鍋を洗った奴だ、洗剤入れる前の。(@000605)

昔俺がこういう仕事を始めたばかりの駆け出しの頃に、TV局とかでもう終わった番組とかレコードのプロモーションに使ったTシャツをもらって帰ってたんだけど、俺はサイズが違うから、お袋がよく着てた。 今でこそBOSSジャンとか格好いいことになってるけど、昔はああいうキャラクタのついたTシャツなんて表じゃ着れないって風潮だったじゃないですか。家帰ったらお袋がジュンスカイウォーカーズとか書いてある奴着てて、おまえ俺に向けて何をしたいんだよっていう・・・
お袋って体操着とかも着ない?うちだけ?どういう神経なんでしょうかあれは。まあもったいないなんだろうな・・・(@000103だめにんげんだもの)

今までどれくらい親の財布から盗んだか計算したことない?おれ高校の時あるよ。 スズキのマーボー(マイティボーイ)が買えるなぁって思ったたよ。60万くらいだったですよね。 ・・・かあちゃんごめん!(笑)(@991227だめにんげんだもの)

なんで俺最後の最後のところで少し冷静なんだろうと自分が嫌になることありますよ。
高校の時に母親に逆ギレしてダンガムのプラモデルを投げつけたことがあるんですけど、一回掴んだグフをザクに持ち替えましたからね、ザクならまた手に入るって。
そのグフは、武器セットのバズーカをつけたりとか低温ハンダでヒートロッドを格好良く作ったやつだったんだけど、部屋入るんじゃねーよと咄嗟に持ったのはグフだったんだけど、ふざけんなよとかいって一旦繋いで、グフを置いて、グフはバランスが悪いからうまく立てて、その後ちょっと塗りを失敗したザクを掴んで・・・
ごめんねーなんて親が降りていったあとすごい嫌な気持ちに。(@991220だめにんげんだもの)

かずえがPTA会長だったのは田中建が中学生の時(@991025)

うちのお袋巴投げとかしたかんな。子供怒るとき普通ひっぱたくとかはあるでしょ? さすがに小学生くらいの時までだけど。(@990322中二病)

よくお袋が子守歌代わりにスメタナのモルダウに適当な歌詞をつけて歌っていた。(@981109ED)

僕と家族の関係は基本的にはそんなにいいものではなかったんですけど、 執念深い子だねとか、蛇のような目をした子だねとかお袋から言われてたことが多いんですけど、 思い出せば断片的にいい記憶があるんです。↓

小学校3年の時に、母の日だったんだろうな、俺の誕生日と母親の誕生日が同じだったんで、たぶん母の日。 母親に急にプレゼントして喜ばしてやろうという気がしたんですわな、蛇の目のような執念深い子でも。 で、小遣いを貯めてて、その小遣いを使って・・・いや、小遣いは貯めてなかったな。 うちから都電で二駅はなれた熊野前というところの商店街のハズレにある南進堂という本屋と文房具屋が一緒になったような店があったんです、結構でかくて。
うちのお袋はテニスが好きで、高校の時テニスをやってて、ママさんテニスとかやってたんですよ。 それくらいうちのお袋の唯一の趣味だったんで、テニスラケットの形の、20センチ強くらいのミニチュアのテニスラケットのキーホルダーになってて、ラケットのガットの部分をとると中に櫛と鏡が入ってる、っていう化粧セット。980円くらい。値段も思い出した。
たしかね、本末転倒なんだけど、お袋に金もらって買ったような気がするんだ。 お袋に何でもいいからお金ちょうだいって言ってお金もらったと思うんです。
んで買ってね、お袋は喜んだんです。今でも覚えてる、すんごい喜んだんだけど、一週間もしないうちにね、姉貴がそれをつけて学校に行ったの。 それを見て、姉貴と仲が悪いじゃん昔から、ものすごいカチンと来て、それは俺がお袋にあげたもんだろ? ったら、姉貴がちゃんとお母さんがいいって言ったからいいのよって言って。ワッーって喧嘩になって。 こいつがお袋の鏡をとったって言ったら、お袋がいやこれは貸してあげたのよって。 ワッーってなって、そのキーホルダーの掴みをブチッっとちぎって、窓から「いらねえならいいんだよー!」・・・それが正面のアパートにカツーンと当たって。↓

それ思い出して、畜生今から姉貴んとこ電話かけて罵倒したいくらい。 高校に入ったくらいから一回も口をきいてないに近いくらい。その原因の発端ぐらいが相当あるね。
うわー、こんなこと思い出したらますます明日お袋なんかに会えないわ。(@980914自ギャグの詩)
俺もそういうことに気付いた時期があって。 お袋に誕生日プレゼントするのにお袋のお金じゃ意味がないと思ったんだろうね。お袋の財布から金を盗んで買ってあげた。 テニスラケット型の手鏡で、お袋はすごく気に入ってくれたんだけどなぜか姉貴が使い始めて、ほんとに殴り合いの喧嘩に。そもそも盗んだお金なんだけど。(@160125)

俺のお袋は家計簿とかつけるような人じゃないから、なんとなく小銭が無くなってるな程度の認識だと思うんですよ。 そんでたまに陽動捜査に来る訳ですよここで白状すれば許してやろうと思って。 「ここにあった小銭知らない?」ていう感じでアプローチしてくるのを「ああ、兄貴じゃねーかな」っていう。 そんとき俺が考えていたこと・・・「小銭にはナンバー入ってないからな」
俺の時は500円は札ですから、間違って親父のポケットから一万円札とったこともありますからね。 つかってもつかっても無くなんねぇよ・・・。罪悪感から無駄に使ったりしてた。(@980803自ギャグの詩)

母親の落胆の仕方で良く覚えているのがね、なんかね、あんたなんてもうお母さん何もしてあげないから自分一人で何でもやりなさいって言われて、したら普通泣くじゃん?小学校1年くらいのときかな。
でも、その当時うちはアパートを経営してたんで、そこの空き部屋に住める!と内心ワクワクしてた。 お袋も、だんだん設定をリアルにしていったら恐くなるんじゃないかと思って、お米あげるから自分で炊きなさいとか、洗濯物も自分で洗いなさいとか言ってきたんだけど、自分の中ではなんかいい条件に思えてきて、うきうきしながら片付けを始めたら「そんなこと言ってんじゃないわよ」ってバーンと殴られた。 あれー?あの条件はいつ取り下げられたんだろうってすごく理不尽に思えた。そんときね、やだな女親はって思った。(@980202自ギャグの詩)

ガキの頃に、うちは8人家族だったから、おしっこしたくて便所が混んでる時に母親に風呂の排水溝でしちゃいなさいといわれてた。(@980119あそび)

キクラゲをペンギンの肉だと教えられていた。(@960115私はマインドコントロール~)

たぶん洗うのが面倒だからだったからだと思うんだけど、牛乳とカルピスを混ぜた飲み物を作っていいのは正月の三が日だけだった。(@970106あそび)

etc

うちは教育方針で、支持政党とかどこに投票したかは家族同士でも言わない家だった。(@170703)

実のおじいちゃんと実のお袋が血がつながっていない、ということを家族の中で俺だけが知らなかった。(@161226)

俺実家にいた最後の最後の時にダイヤルQ2がはじまってた。 そんとき俺もういい歳だぜ?だけどそのエロチャンネルがまぁ魅力的で、なんと6万円の請求が。
これはじめて言うと思うけど、親もこれは何かがおきてると。どうやら次男の建が何かしてるらしいと。
で、親子電話の親機の方で俺が聞いてるエロチャンネルを盗聴されて発覚した。 もう20いくつですよ。もう芸能人だったと思うんだよそのとき。もう芸能人ですよ? ま、そんなことも一人暮らしのいいきっかけになりましたけど。(@160404みんなの黒歴史カルタ)

うちは朝からすき焼きや酢豚がでた(@160404うちの常識世間の非常識カルタ)

うちは、割と家族で麻雀をやる家だったんです。 うちのお父さんとお兄さんは、今思えばすごい麻雀がうまかったと思うんです。 俺が小3で弟が小1くらいのときから家族麻雀を始めて、俺が中1位の頃には家族全員が符ハネ勘定ができたりしてた。
当時は全自動じゃないから手積みじゃないですか。 麻雀やる人はわかると思うけど、盲牌だと当然白はわかるけど、たとえば三萬と五萬はわからないじゃないですか。でもそんなのは中学生くらいの時にはみんなわかるわけ。 しかも親父と兄貴が言うには、17牌を積むときに両サイドの牌は薬指の先端で触れるから、そこで両サイドの上の牌はわかっとけって。 その2牌がわかってるだけで全然違うから!って。 自分では積もれない位置、たとえば流局に近いところにあるとわかっていたら、たとえば手牌に「中」を対子でもってて場にも1枚捨ててあるとするともうポンできない、あるいは1牌目でポンしとかないと駄目だとか、それくらいのことはわかっとけって。中学生で。弟は小学生だけど。言われてたから。(@110803webjunk)

CSで復活の日。この映画アレっちゃあアレなんだけど、親といった最後の映画なんだよなあ。なんか見ちゃうんだよな。変に覚えてるし。(@110428tw

うちの親は何ものせないご飯の食べ方をすっぽろ飯と呼んでいた。これはうちだけ?(@020715クレイジーPRGツクール)

家族会議みたいなのでおぼろげに覚えているのが、チャンネル争いとかするから、ドラフト制度みたいなので見る順番を決めたような気がする。 で、親父が、ただし、お父さんが働いて買ってきてるテレビなんだから、お父さんがいるときはお父さんが優先だぞ、みたいな話をした気がする。あれが家族会議っていうんだよきっと。(@010710だめにんげんだもの)

うちは兄弟が多かったんで誕生会に友達を呼んじゃダメというルールだった(@990628)

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