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伊集院光少年期エピソードwiki
このサイトは、伊集院光さんの少年時代~黎明期のエピソードについて記録していく趣味のページです。

家族ネタ その3(祖父母他)

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おじいちゃん

超糞ジジイこと田中しんのすけがまた当時総理大臣の田中角栄と飲み友達だと吹聴してて、家族には相手にしない方がいいよと言われてた。
手が込んでいたのは、このジジイは家を空けて数日帰ってこないことなんてざらにあるんだけど、 2日ほど消息不明だったある朝にべろんべろんに酔っぱらって帰ってきて、友達だからサインもらってきたといって角栄の色紙を見せてくれた。野球選手のサインとかだと崩して書いてあるけど、まんま「田中角栄」だったから、おまえ自分で書いてるんじゃねーよ感がちょっとあった。
したら、死んで4-5年経ったころかな、遺品を整理してたら角栄とのツーショットの写真が出てきて・・・で、そういう経緯で手に入れたんですよってなんでも鑑定団に出したら、本物って。どういう関係なのかは全然わかんない。(@130304)

おじいちゃんが安楽椅子に座ってゆらゆらしていた記憶があるんだけど、 それはうちの姉貴が生まれる前に処分されていたものだと言われて不思議な気持ちになったことがある。 実はアルバムにその椅子の写真があって、それを見てそういう記憶を作り上げてるってことだと思うんだよね。(@120206空脳)

膝に刺さった古釘をマジンガーZに集中してる隙におじいちゃんに抜いてもらったことがある(@110627空脳)

うちに、戦時中に落ちてきた爆弾の蓋だっていわれていた物があって、ずっと。
うちの家は広かったんだけど、その敷地にうちの祖父母と母親が昔住んでいた古い家があってそこを物置として使っていた。 その家は屋根が抜けてたりするわけ、物置になっていない部分なんか。 で、そこに鉄製のでかい蓋みたいな物があって、それをおじいちゃんからもおばあちゃんからも東京大空襲の時に近くに爆弾が落ちて、その蓋がこの屋根を突き破って落ちてきてびっくりしたって。 そんな話をすごい聞いて、そんで俺なりの戦争の跡みたいなもんだから、うわこえーなと思ってて。
そんでおじいちゃんもおばあちゃんも亡くなって、親父がソッコーでそこを駐車場にしたんだけど、その駐車場を拡張するかなんかのときに掘ったらそれが出てきて、うわ懐かしいこれ爆弾の蓋だよって言ったらうちのお母さんが、自分が子供の頃にうちは喫茶店をやってて、喫茶店で使ってたお湯を沸かす用の茶釜が出てきて懐かしいと。 ・・・言われてみたらどうみても茶釜の蓋なんだよ。
え?じゃあなんなの?二人とも悲しい目をして戦争とはどれだけ怖いかっていう話を、当時70くらいですごい一生懸命してくれたのに。 その時はおじいちゃん達が死んで随分経ってたけど、あいつら・・・って思った。なんでそんな嘘つくのって。(@110328空脳)

1月1日に急に死んだ山羊髭がへそまで生えているうちのジジイが、 町内の子供会のクリスマスパーティにサンタの格好で出るはずのその日に、 あの糞飲んだくれは、町内の役に立つのはその日一日だけなのに、泥酔。子供に死ね糞ガキとか言っちゃう。(@110103)

小学校の時に自分の名前の由来を聞いてくる宿題、あったなぁ。 俺の名前が「建」になった理由は、親父は縁起とか字画とかまったく関係のない人なんで、海外の人も呼びやすいこと、母親は健康に育って欲しいということ、 でもおじいちゃんが字画に拘る人で人偏を取っちゃった。 うちのじじいが最後まで粘ってたのが、9画で2文字の名前がいいと、田中田中という名前を、本気で考えてたらしいよ? その理由が、初対面でも堅苦しい場所でも、すごく親しげに呼んでもらってる感じがするからっていう・・・(@091228空脳)

じいちゃんとそのお仲間が、俺の幼稚園の運動会の時にお金を賭けていてこっぴどく怒られていた。 二度と来るなと言われていた。(@070826秘密基地FAX)

親父は堅物だったんでしなかったんですけど、おじいちゃんはパチンコ好きだった。(@060820秘密基地)

おじいちゃんから日本一小さい本をもらった。3mmx2.5mmみたいな。(@060514秘密基地・穴)

1月2日ですよ。公式にうちのじじぃの田中しんのすけの死んだ日でございますよ。 めんどくせーからいつも元日死んだ元日死んだっつってますが、正確には元日の夜中に死んで、 まぁ大騒ぎになったのが二日ですよ。(@051226)

おじいちゃんと血がつながっていない じいちゃんと似てると言われてたのに(@050620)

爺さんが金魚を飼っていて、餌の糸みみずを買いに行くと小遣いをくれてたんだけど、そりゃ頼まれなくても買いに行くわね、200円が1000円に化けるわけですから。 びっくりしたね、じいちゃんの法事の時に新聞紙に包まれた乾燥糸みみずが30枚くらい出てきた時には。物置から。(@041004イジュパパ)

小学校1年のときなんかわからないけどおちんちんが腫れて、恥ずかしくて親にも言えなくて病院の前をかなり長い間ウロウロしたりして、最終的におじいちゃんに見せたら見たこともない薬を、黄色いゲル状のものを・・・しかも貝に入ってた。
おじいちゃんに見せたらこりゃばい菌が入ってるなみたいな話をされて、夕方くらいになってから口が和紙で封がしてある貝殻をどっからか出してきて、その中のすんげーねばねばした黄色いボンドみたいな薬を塗ってもらったら嘘みたいに治った。 おじいちゃんありがとう。死ぬ2ヶ月前くらい。なんだったんだろうあの貝。仙人からもらってきたんじゃねーかな? すっげーひさびさに思い出した!(@041004イジュパパ)

おじいちゃんに面と向かって平気で「死に損ない」って言ってた。 しかも幼稚園の年長の時に死んでるってことはそれ以前に。 おじいちゃんの思い出は、酔っぱらって全員が敵に見えて日本刀を振り回してるときに、階段の上で俺を見下ろしたあと足を踏み外して落っこってきたかんね。日本刀を持ったまま。 リアルだかんね。ガンダムが来た感じよ?向こうから。(@021125平成珍カルタ,@130304)

釘を金槌で叩いてペーパーナイフみたいな形にしようとして、釘が折れて飛んでいった方向。 晩年のおじいちゃんの頬にでかいキズがあるんだよな・・・しんのすけスマン!遺影のあれはフォトショップでなんとかしとくから!(@020325ミスチョイ)

昭和49年の元日に病院で死んだおじいちゃん。 小康状態で寝ていますから皆家に帰って大丈夫ですよと医者に言われて放置して帰ったら、何故か自動販売機の前で死んでたおじいちゃん。(@011105)

じいちゃんが原野商法にひっかかって、親父が相続するときに北海道から崖の登記簿が(@011022だめにんげんだもの)

俺なんか健康の健で健やかに育つようにってのがあったんだけど、 当時のじいちゃんが画数が良くないって人偏をとっちゃった。(@960916)

ちっちゃい時におじいちゃんに「みんなゴリラ」っていう本を買ってもらったことがあるんだけど、 内容が全然思い出せないんだよ(@960708ジングル)

幼稚園の年中くらいの時、泥酔して日本刀で見えない敵を切っていた田中しんのすけに追いかけられ、死にかけた。 おじいちゃん、ただでさえ鼻つまみ者だったからお袋に言えなくてさぁ。俺ラジオでしか喋ったことないね。(@960708)

おばあちゃん

弟が生まれるときに親が入院しておばあちゃんに預けられたんだけどそこで出たエビフライがうまくなかった。(@111020webjunk)

99歳で死んだばあちゃん。デイケアの人にお風呂に入れてもらって、髪も整えて、トークも弾はずみつつ、 何を思ったか急に、悪いけどちょっと黒い服出しといてと頼んでその15分後に見たら死んでた、と。 最期まできちっとした人だったね、なんて話をした。(@110718イタゴラスイッチ)

3歳の時、奈良のおばちゃんのところにいって、カレーをおかわりしたことを 褒められたので調子に乗って、やめなさいと言われたのに3杯食べて、 最後吐いたのよ。(@061210秘密基地)

蚊取り線香は実はものすっごいクワガタに効きますから気をつけた方がいいですよ。 冬越しさせようとしたクワガタが、おばあちゃんが焚いてくれた線香のおかげで全滅した。(@040823ウソチク)

駄勃ちしたときにそれを鎮めるために思い浮かべる光景。おじいちゃんが死んだ時におばあちゃんが言った「最後まで・・・」。(@010710だめにんげんだもの)

はじめ人間ギャートルズが大好きで、奈良のおばあちゃんの家に遊びに行ったときに、 山の中にあるんで民放が入らなくて、「ギャートルズが見たいから帰る」と言ったときのおばあちゃんがすごく寂しそうな顔をしたのを憶えている。 ひいおばあちゃんで、すごい今思えば98歳くらいなんだけど、そのおばあちゃんがもう山中歩いて連れてってくれてカブトムシ採ったり玉虫採ったりして大騒ぎして、にもかかわらず山菜とか食わしてもらって、夜ギャートルズが見られないから帰りたい帰りたいって言ったときのばあちゃんの顔。(@001009)

うちはお袋が料理学校行ってたんでそれほど珍奇なものはなかったんですけど、ばあちゃんは作るカレーはね、何でも入れればなんとなくカレーになると思っていて、ナルトとかが入ってるんですよ。練り物はやめろっていう・・・。 ばあちゃんに言わせればシーフードカレーなんだろうけれども。(@980713お洒落大戦)

昔うちのばばぁが「今日はここまで」ってガムを途中で水の中にポチャッと入れて冷蔵庫にしまってた。 うちだけ?うちの田中ハナだけ?(@980706お洒落大戦)

おばあちゃんにつらく当たった時期ってあるなぁ。
おばあちゃんの作ってくれるおかずとかってちょっとポイントがずれてるじゃん。
それが気に入らなくて、僕はパンを買うからお金で頂戴って。ハナごめんもう、田中ハナ。 おばあちゃんとご飯を食べていたのは弟のお産で母親が家を空けていたときだから2歳半くらいで、そのばあちゃんのピントのずれ方にすごく駄々をこねてたなあ。すごいでんぐりかえってたのを覚えてる。 風邪で寝てるときにすり下ろしたリンゴとかつくってくれるんだけど、買い物に出かけるときにジャンプ買ってきてって言うと月刊ジャンプ買って来ちゃうんだよね。 で、こんなもの読めないよ!って。ごめーんもう・・・。
おばあちゃんってさ「お母さんには内緒ね」って物くれたりするから、お母さんにびくびくしてる弱いおばあちゃんっていう構図ができて、家の中で弱者になってたりするんだろうね優しいしね・・・。 ハナよ、ホントにごめん。(971201自ギャグの詩)

日曜大工の道具を探しておばあちゃんの部屋の押し入れを探したら、大工道具の缶の上に年金袋が・・・。 そんなおばあちゃんは老衰で90いくつで亡くなるときに、俺の顔を見て「あきらさーん」って言ったんだ。(@971117自ギャグの詩)

裏山で火を付けて遊んでそのまま帰宅。あとで山火事になってお巡りさんが家に来たが おばあちゃんが機転を利かせてくれた。(@?)リスナーネタとの指摘を頂きましたthx

その他の人々

お袋方のおじいちゃんが死んでから交流が途絶えちゃったんだけど、神奈川の厚木の先にあった親戚の家。 そこにゆきちゃんとしげるさんてのがいたの。 しげるさんは夜間の工業高校に通ってて、日産の工場に就職するんだみたいな話になってて、ゆきちゃんはもうお嫁さんになるんだみたいな話で。
俺はしげるさんのことを仮面ライダーからとってしげるショッカーって呼んでた。 しげるさんは俺のことを建坊って呼んでて、建坊、建坊、健忘症♪って呼ぶのが意味はわからなかったんだけど子供心になんか嫌だった。 当時幼稚園児だった俺に隊長と呼ばせてエヘンって感じだったから相当な強者だったと思うんだけど、よく遊んでもらった。 カブトムシやカミキリムシとかを捕りに行ったり、ヘビが見られたりするわけ。で、俺は東京で図鑑で予習してくるわけ。↓

今でも憶えているのは、ある時またヘビが出て、しげるさんが俺にヘビなんて頭を踏みつぶしちゃえばいいんだから踏みつぶせって言うんだけど、俺都会の子だからヘビ怖いじゃん? 図鑑で見たアオダイショウだから毒はなかったんだけど、あとで叔父さん達に建坊はだらしなかったんだよって言われるのが嫌で、頑張って立ち向かったら逃げちゃった。 したら、次に黒いヘビがしゅるしゅるって出てきて、怖いってなったんだけどしげるさんがこんなの怖くねーよ!って。 図鑑で見たヤマカガシだったんだけど。 しげるさんは大丈夫だ大丈夫だって言って、頭だと思って踏んだら尻尾で、今でも思い出すわ、ヤマカガシがビーンとなって足にぐるぐるぐる~って絡まれて咬まれちゃった。 しげるさんの足がどんどん色変わって・・・ そのあたりから記憶がないから、あのあとしげるさんはどうなったのかな?死んじゃったのかな?(@100726)

俺の親父の弟に当たるあきら叔父さんは、何かにつけて焼き物をくれる。 高校入学記念の焼き物ならわかるけど中退記念の焼き物って意味わかんないでしょ? 8歳の時、たかしの妹の旦那の塚田さんに新車でドライブに誘われて新車のにおいに気分が悪くなった。(@080414)

親父とお袋が田中と田中で、じいちゃんとばあちゃんも田中だから親戚に田中がいっぱいいるんで、 親戚をザル屋のおじさんとか、職業で呼んでた。(@061203秘密基地)

父方の祖父がすごい金持ちで道楽もんなんだけど、将棋がすごい好きで当時のお金で500万する将棋盤を持っていて、遺産相続の時に土地をもらうか将棋盤をもらうかというくらいの。
でも俺それで積み将棋とかやって、キレて投げつけたりとかしてた。 あの将棋盤が最終的にどこに行ったわからないけど、俺は一人親戚に怪しい奴を知ってる。 換金したと思われる奴を知ってる・・・言わないけど。(@050207脳内商店街)

親父の弟のみちおおじさんは高校時代に王選手率いる早実と東東京大会の決勝で試合をしたことがある。(@070205)

おばあちゃんのお母さんあたりが奈良にいる。(@010312)

うちが改築したときに大下さんっていう人がトラック、10t車に乗せてくれるって嬉しくてさ、弟も行きたいって言うから弟もいったんだけどさ、弟車酔いでバンバン吐いちゃって、弟ちょっとやばい状態になってるんだけどさ、ダンプに乗るのが終わるのが嫌で大丈夫だろ?大丈夫だろ?って言い続けて、弟をかなり瀕死の状態にして、家に帰ったときにうちの親父が運転手さんの方を責めちゃってさ、それ以来改築は続いたけどうちには来なかったなぁ・・・。 やべぇこれ!心を何に喩えたらいいのか全然わかんねぇ俺今!(@060724伊集院島)

こないだ工事現場でブルドーザーをじっと見てたら、思い出した。
小学校くらいの時にね、家を建て替えたんですよ、俺の実家を。 もともと一軒家とばあさんが経営していたアパート、の二つの家を、まあ親父がうまく祖母を騙したんでしょうね、二つの家と、庭、おじいちゃんは乱暴者で親父は文系のまじめな人だから口をきいたのを見たこともなかったんだけど、死に際に婿養子の親父に手を握りながら「庭だけは・・・」と言っていたにもかかわらず1週間後に更地にされたところの庭、を潰して家を建てたんですよ。
その時にね、解体屋さんだか建築屋さんだかの大下さんという人が来ていて、そのおじさんにものすごく懐いていたんですよ。きっかけはね、青バットの大下弘だか大下剛史、これは当時の広島のバッター、に名前が似てるせいで野球うまいと思われて、俺野球下手だから嫌なんだよね、なんて話を聞いて、俺も田中健という俳優に名前が似てるから嫌だなあ、と思ってたからその辺からリンクした気がするんだけど。
大下さんがダンプカーに乗せてくれたんですよ。すごいでっかい、たぶん街道とかで走ってる10tとか。 家を壊した殻を持って行く日にダンプカーに乗せてやるって言われてすげぇテンション上がったんだけど、弟も乗りたいとか言い出して、俺は弟がすっげぇ乗り物酔いするの知ってたし俺だけ特別に乗せてもらいたいと思ったから「いいよお前」みたいなこと言って。 大下さんは「じゃあみんなで行こう。ダンプはすげーぞ」みたいなこと言って、お袋は社交的だから「すみませんねー」みたいなこと言ってたんだけど、親父は、 おじいちゃんともそうだけど、肉体派とは合わないうちの親父は、「あ、よろしくお願いします・・・」みたいな感じだったのをすごい憶えてる。↓

で、行ったらさ、弟もテンションあがってたんだけど、家に近いところですぐに気分が悪くなっちゃってさ。 でもここで弟を帰すことになったらなかったことになっちゃうから、な?大丈夫だよな?ってずっと言ってったら、川越でびっくりするくらいの量吐いたの。弟がクルンと裏返しになっちゃうくらい吐いたの。 大下さんも困りながら、掃除とかしながら帰ってきたら、お袋は迷惑掛けたと思うから「ほんとにごめんなさいね」とか大下さんにしてるし、大下さんは「乗り物酔いはなれだから大丈夫だよ」 みたいなこと言って、で、俺も大下さんが怒られるのも嫌だからそれを拾って「そうだよね、こういうのをずっとしていくと乗り物酔いとかしなくなるよね」とか言ってたら、親父がつかつかつかっと寄ってきて弟をむしり取るように連れて行った。 すっごい険悪になったときの気持ちを思い出した。↓

さらに、殻を運び終わったから、たぶん1週間経ったか経たないかくらいのときにブルドーザーが入って、 今度はブルドーザーに乗せてやるって。そのブルドーザーがすっごいおもしろくて、外から見てるよりも大きく上下に揺れるの、絶叫マシン並みに。 しかももともと二人乗りにできてないから、無理矢理大下さんの後ろに乗せてもらって。 子供って恐いと面白いの境目がわからなくなってるから、おなか痛くなるくらいゲラゲラわらってたら、 大下さんは調子に乗っちゃって、かなりデカイ山になってるところをグワーッてのっかったらブルドーザーからどさって落ちちゃって、フワフワの土の上に落ちたから全然大丈夫だったんだけど、大下さんが大丈夫?とかなって、お袋も悲鳴を上げたから親父も家の中からばーって出てきて、 おまえ大丈夫か?って聞かれて、俺も大丈夫大丈夫と言ったつもりなんだけど口がパクパクってなって声が出なくて何も言えなくて。その日から確実に大下さんに会ってない。
・・・俺の中では、それは、家の土地の造成が終わったからだとずっと思っているんだけど。 その先もずっとトリップして行きたいんだけども、その先は危険な感じがする。(@051107)

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